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2011年5月19日

復興支援ボランティア体験@石巻(14)雄勝町の被災風景

写真今回一連のレポートでは、あくまで「ボランティア体験」を中心とし、被災地写真はなるべく控えようと思っていた。

3月11日以降、被災地から離れた場所の私たちもが、メディアやネットを通して悲惨すぎる写真・動画を大量に見続け、心に重たいしこりを作ってしまっている。

私自身も、現地で撮影した被災地風景を見るだけで、全身にどっと重力がかかる。

ただ雄勝町の写真は何枚か掲載しておこうと思う。

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雄勝町へは、週3回の炊き出しが行われていた。
被災者向けではなく、現地に残って作業をしている行政の人が対象という、少し変わった炊き出しだった。


大きな地図で見る

雄勝町は、石巻市の中心から北東方向に車で4~50分。南三陸町との間あたりにある。

切り込んだ湾、海からいきなり山となる入り組んだリアス式海岸が特徴だ。

●宮城県・雄勝町商工会

多くの場所では、広範な被害があっても、建物すべてが押し流されているエリアは比較的限られているが、雄勝町は「ひとつの町が丸ごとなくなった」ような状況になってしまった。

●宮城・石巻市雄勝町の上空から中継 | 日テレNEWS24

「昨日まで町があったんですが、津波の影響でほぼがれきの中に2~3大きな建物だけがある状況に・・・」

私たちの炊き出し目的地は、クリーンセンター(清掃工場)で、市や県の行政の人が寝泊まりして作業にあたっていた。

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途中の道はまだ河原に鉄板を敷きつめた状態のところも多く、川面すれすれで、雨量が多い日にはちょっとどきどき(上の写真は帰路撮影したもの)。

一般車両は通っておらず、自衛隊や警察車両や工事車両などだけがいきかっていた。私たちのバンも、一度警察に止められ職質を受けた(被災地での盗難が発生しているため、県外ナンバーの車を取り締まっている)

川の両側は、大きな一部の建物を除き、家屋はまったく形を残していなかった。船も多数横たわっていた。長い間、北上川沿いのそうした痛ましい風景を見続けた後、右折して山の斜面をあがってゆく。

「津波被害にあわなかった安全な場所にそのクリーンセンターがあるんだな」

と私は思った。というのも、川からも海からも離れ、緩やかな登り道をずっとあがっていったので。ただそれは誤解だった。

登りきって視界開けた場所には、四方を山に囲まれた割と大きな集落があった。

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まるで「爆心地」だった。

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こんな高い場所まで上がってきた水が、これほどの破壊力をもつと誰が想像しただろう。押し倒され、捻じ曲げられ、粉々にされた建築物は、見ているだけで鳥肌がたつ。

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人は・・・どうなったのだろう。
山間のこんな場所での津波警報、家が根こそぎ流される事態になるなど、想像できなくても当然な気がする。

逃げ遅れた人は、どんなに恐怖だったろう。

車や建物の残骸が大量に蓄積していたが、これらはこのエリアのものだけでなく、川の両岸や海沿いエリアから押し流されてきたものもあるのだろう。

自宅があった場所で、アルバムなど思い出の品物を探し歩く被災者たちの姿をテレビで見たが、きっと遠く離れた山の中の、こんな場所まで流されてきているものもあるはず。

がれきとして処分されてしまう前に、かけがいのない思い出を発掘・復旧させる、そんなボランティア活動を行っている人達もきっといるだろうなと思った。港町の被災者の人達がここまで探しにくるのは難しいだろうから。

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工事車両などは走っていたものの、車を降りて少し歩いても、他の人と会うことは全くなかった。一部、クリーンセンターに避難しているようだが、多くの町民は、別の場所の避難所にいるとのこと。

こんな風景を見たら、安易に「頑張ってください」なんて言えない。考えれば考えるほど、たった一週間滞在しているだけの部外者の自分ですら鬱になってくる。

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道路に面したところに、家の土台が残っていた。
ここが玄関だったのかな。その脇はトイレかな。

土台に打ちつけられた木はまだ新しく、大工さんが書き込んだらしい文字もはっきり読み取れた。建ててからまだそれほど経っていない。若い家族が住んでいた家だったのかもしれない。

・・・みな、無事だったろうか。

写真

ここからさらに少しあがったところに、クリーンセンターはあった。市や県の職員が、奥の建物や、車の中で寝泊まりして、復旧活動に従事している。炊き出しはこのガレージの一角で行われ、夕食を提供していた。

5月上旬でも、夕方過ぎると一気に冷え込んでくる。
薪で暖をとりながら、持っていった八宝菜とご飯を中華丼のようにして食べてくれた。

大震災直後は、雪も降り、物資も不足していて、本当にしんどかったそう。

「それ考えれば、今は天国だよね~」

こんな過酷な環境で何週間も寝泊まり作業をしているというのに、笑いながら言っていた。

関東に戻ってきて4日が経つが、今でも雄勝の風景を思い出すと、普通にここで、いつもと変わらぬ日常生活を送っている自分自身が何かもどかしく思えたりする。考えても何もできないとわかってはいるのだが、日常と非日常の間の距離を、どうしても消化できずにいる。

>続く・・・(15)最後に~参加してよかった

コメント(11)

ありがとう!
雄勝へボランティアに行ってくださったブログを拝見し、涙が出ました。

主人の実家が雄勝町です。
石巻市と大きくくくられて、でも、伝えられるのは、石巻市中心部ばかりで、雄勝の情報が全くありませんでした。

主人の両親も安否不明です。
家もなくなりました。
高台にあったので、きっと大丈夫と思っていたのですが・・・。

私も、震災後、初めて雄勝に行ったときには、まるで爆撃された後かと思ったほどでした。
ここで、一体、何が起こって、どうなったのか・・・理解することができませんでした。

雄勝は、もう見放されたのかな・・・と思っていました。今尚、ほとんどニュースにもならないし、情報もない。自分が行って、情報収集しなくてはならない。

それで、何か情報はないかと、ネットサーフしていたときに、拝見しました。

本当にありがとう。
本当にありがとう。

1人でも、雄勝の悲惨な現状に目を向けてくださったことが、本当にうれしいです。
ありがとう!

横レスすいません、和田さん。

ピースボートボランティアのmasaruさんが、雄勝町情報をアップしてくれました。
 http://ameblo.jp/masarukougyou/
ようやく、手をつける方向のようですが、なにもかも足りないようです。

まっぴぃさん、
コメントをいただきありがとうございます。
そしてご主人のご実家、本当になんといえばいいのか・・・言葉が見つかりません。雄勝町のあまりに悲惨な状況は、思い出すたびに涙がでそうになります。
多くの方が住んでいた場所の変わり果てた風景を、外部の人間が勝手に公開してしまうことには抵抗感がありましたが、雄勝町については、本当に情報が少なすぎると思い、写真を張り付けさせてもらいました。
必要な支援の手がもっと早く多く投じられていくことを祈っています。

YCATさん、
情報ありがとうございます。
「重機、車両、道具、人手を雄勝町へ投入願います!」
これを本当に多くの方に伝えていきたいです。

わだ様
はじめまして。
当方、3月末に雄勝へ『バイク救援隊』として、役場から14ヵ所の避難所&個人宅への配達等をしておりました。
GWにも再訪いたしました。

活動中はクリーンセンター脇で寝泊りしてまして、晩飯はピースボートの皆様のお世話になってました。
改めて御礼申し上げます。

「次は遊びに来て」
と、地元の皆さんから誘っていただいてます。
わだ様も是非、おがつへ。

自分達も、5月頃、雄勝町にボランティアで入りました。
トンネルを抜けて、最初に目に入った光景は今でも忘れられません。

安易に「頑張ってください」と言えない状況。それは自分達も感じました。

雄勝の方に「石巻の中心部に人が集まって、こっちのほうには余り支援がこない」
と言われたのが今でも覚えています。
 
現状がどうなのか、解らないですが、役に立てるならまた行きたい、と思います。

夜分遅くに恐れ入ります(>_<)

初めまして。
私は雄勝に住んでいて
津波で家が流されました

まさか山の方まで
津波が来るとは思いませんでした


家も友達も流されて
何もかも失ってしまった気がします

それでもこうやって
ボランティアに来てくれて
ブログにも書いて頂いて…


ボランティアの方を見ると
安心します。

そして逆に気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

凄く凄く凄くかっこいいです
もし何かあったら今度は私たちが駆け付けます
絶対に恩返しします。

仕事頑張って、お金貯めて
また雄勝に家を建てます

皆で雄勝に住みます

やっぱり、雄勝が1番ですから!!

本当に勇気づけられます

たくさんたくさんありがとう

雄勝さま

わざわざのコメントをありがとうございます。
嬉しいお言葉です。
そして最後のまた雄勝に住みますという言葉に、
私もとても勇気づけられました。

きっと私などの想像をこえて道のりは困難なことと思いますが、
遠くから皆様の明日がが少しでも明るく開けてゆくことを
お祈りしております。

和田さま
除染のところから一通り読ませて頂きました。女性なのに(他意はありません)
本当に素晴らしいですね。ここで雄勝の記事を目にして再び感動?してしまいました。自分は3月から4月にかけて医療系のNPOでドライバーをさせてもらってました。当時は公共交通機関がなかった為に東京からドクターやナースを乗せて被災地に入りました。最初は石巻の渡波に入って、しんどい思いをしながらも自衛隊や地元の人たちが既に復興復旧に向けて働いていました。その後に医薬品を大須小学校に運ぶ事になり(雄勝の先にあります)1人で行きました。1人でこの光景を見て本当に唖然としてしまいました。和田さんの頃も人がいなかったと書いてありますが、自分が行った時もほとんど人けがありませんでした。ただたまに見かけた人達は家に潜り込んで物を運びだしていたようです…。
結局4回位大須小に行きましたが、2回位は1人でしたので、あの時に見かけた人たちに声をかけて1時間でも良いから一緒に作業すれば良かったと後悔しております。2回目からは山賊の出ると言う林道コースでしたのでちなみに職質は受けませんでした(笑、でしょうか…)林道だと北上川沿いより30分位早く着けました。ただ大きな余震があった以降は林道は更に危険になった様です。
同じ石巻市でも確かに雄勝は手つかずでした。今はどうなっているのか気になります。
ところで出身は大船市ですか???自分は大船中学卒です。
あと既におわかりかと思いますが、除染のとこに心の高圧洗浄が必要な方のコメントがあります。

toshiさん、
私は初めて石巻ボランティアに参加したのが、大量のボランティアが作業したGW明けだったため、街中もお店がかなりオープンし始めた時期でしたが、3月から4月にかけての風景は全く違うものだったのだろうなあと思います。寒さも厳しく、道も危険な状態だったのでしょうね。本当にお疲れ様でした。

その時期の渡波地区や雄勝も見られているのですね。
雄勝もその後たくさんの専門業者やボランティアが入ったという話を聞きますが、同じくどうなったのかとても気になり、機会あったらまた見に行きたいところです。
(でも建物はほとんど流されちゃっていたので、きれいになったといっても更地状態で、復興にはまだ遠いのでしょうね)

ちなみに大船生まれなのですが、物心つく前に茨城県にうつってしまったので、大船の記憶はまったくないのです。親戚はみな保土ヶ谷や茅ヶ崎あたりだったので、よく遊びにいっていました。

除染ボランティアの記事は、昨日のNHKのニュースなどの影響で、「素人を危険な除染に駆り出すなんてとんでもない!」という意見の方がたくさん訪れたようです。コメント欄が原発問題の議論や批判応酬になってしまうのも望まないので、不本意ですが一度閉じました。

toshiさん、
コメント読ませていただきました。ありがとうございます。
大船市がもう存在しないことを初めて知りました・・・びっくり!
かなり寒くなってきますが、どうかお気をつけて。

・・・あ、元々大船市なんてなかったのか。
なんで「市」だと思い込んでいたんだろう、自分。不思議~。

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このページは、wadaが2011年5月19日 23:56に書いた記事です。

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