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小笠原・父島体験(9)トーチカ初体験&魚雷攻撃で座礁した濱江丸が横たわる境浦海岸【PR】
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この記事は、reviews(レビューズ)より依頼した企画です。

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扇浦海岸の向かいに、こんな案内表示があった。
小笠原諸島を発見したと伝えられる小笠原貞頼をまつった神社境内に、いろいろな碑が林立している模様。時間もあったので覗きにいってみたところ、むしろもっとすごいものを体験してしまった。

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小笠原神社の鳥居。


小笠原神社境内のトーチカ

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写真たくさん撮ったが、この際碑は全部すっとばすことにする。
ここで書きたいのはこれだ。

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旧日本軍が構築したトーチカ。

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すぐ横に雨水染み込んでカビはえたクリアフォルダ入りの紙を掲げた看板があった。どうでもいいことだが、クリアフォルダの空いてる部分が下に向くように紙を入れて掲示するだけで、この掲示物が抱える問題の9割は解決すると思う。

このコンクリート製の構築物は太平洋戦争中旧日本軍が使用していた【トーチカ】です。※トーチカとはロシヤ語で重火器などを備えたコンクリート製の小型防衛陣地のことです。

そして最後にこう書かれていた。

※中へ入れますが足元が暗いので充分気をつけてください。

え?入れるの?

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改めて、トーチカの銃眼を見てみたが、おそらく小学生でやっとかなあ。大人が試すとなると腹ばいになって頭から突っ込んでいくことになるが、下手すると腹部つっかえて大変な目にあいそうだ。

いやいやよく考えたらトーチカなんだから、裏に出入り口があるのかな。そう思ってこの半円型の朽ちかけたコンクリ製の構造物の脇から裏側に登ってみたが、入口らしきものは見当たらない。

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その後、参拝して・・・

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他の碑の写真なども撮影して神社を後にしようと歩いていて気付いた。少し離れたところにそれはあった。

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ここが出入り口かよ!!!

さっきのカビが生えた掲示物に書くべきはむしろ、トーチカがロシア語ということより、出入り口はここではなく左手方向にあるという事実だったんじゃないだろうか。絶対一年に何人かは、トーチカ銃眼に頭突っ込んで足バタバタさせる羽目に陥っていると思う。

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中はもちろん真っ暗。
かなり腰をかがめなくては歩けず、さらに天井もかなりでこぼこがあるので、二度ほど頭を打ち付けた。

途中でカーブしており、突き当たったところで左右2股道にわかれている。右に行くと先ほど見た銃眼から外の光が差し込んできた。足元には弁当箱なども落ちていて、なかなかどうして、どぎまぎする体験だ。

動画撮影したので興味ある方はぜひ。


魚雷攻撃で座礁した濱江丸

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もう一か所の戦跡が、そこから少し北に向かった境浦海岸にある。

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ここは都道から坂道をずっと下ったところにビーチがあるのだが、降りる前にぜひ、都道から入り江を見下ろしてみてほしい。

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サンゴ礁も広がる湾内中央あたり、何か黒いものが水面に顔を出しているのがわかると思う。その前方にも柱状のものが何本も。

実はこの下に沈んでいるのは、太平洋戦争中に魚雷攻撃を受け座礁した濱江丸(ひんこうまる)だ。

●濱江丸 - Wikipedia

もともと民間商船で、満州から日本へ石炭を輸送していたそう。その後1944年に海軍に徴用されマリアナ諸島方面の輸送任務に。

1944年6月11日、サイパン島へ侵攻してくるアメリカ軍から逃れるため、濱江丸は第4611船団に加入して日本本土への退避を開始した。アメリカ海軍第58任務部隊の空襲を受けて船団は壊滅状態となったが、本船は損傷しつつも同月21日に硫黄島へ到達できた。その後、特設駆潜艇「文丸」と航空機の援護を受けて父島まで移動した。

最後は空襲を受けここで座礁、魚雷で炎上したのだという。

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海上に出ている部分はもうわずかだが、すぐ近くで見ようと、シュノーケリングの人たちが砂浜から何人も泳いでいき、沈んだ船のまわりを泳いだり潜ったりしていた。レンタルもあるのか、黄色いカヤックも座礁船跡に向かっていっていた。

ダイビングで沈船を見る機会はあるが、戦争中に魚雷を受けて炎上した船をこうしてみるのは初めてだ。砂浜に近い浅瀬なので多くの船員は座礁した後にすぐ退避していると思うが、度重なる攻撃を受け、この船で命を落とした人もいるのだろう。

この美しい穏やかな海が再び戦火に晒される日がこないことを祈る。

[旅]小笠原諸島2016年9月

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