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「東日本大震災・原子力災害伝承館」と「東京電力廃炉資料館」

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2011年の東日本大震災と、それが引き起こした原子力発電所の爆発事故からはや12年。
宮城や岩手では津波被災地にも新しい街が誕生しているが、除染が必要となった福島・浜通りの被災地は広範囲で居住も立入りも規制され復興は遅れた。それでも除染が進み避難指示も封鎖も徐々に解除となり、「特定復興再生拠点区域」として新しい街づくりが始まっている場所もある。

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原発事故を後世に伝えるための「東日本大震災・原子力災害伝承館」も2020年9月、双葉町にオープンした。新型コロナもあってなかなか行けなかったが、今回、入水鍾乳洞の帰途にちょっと遠回りして訪問することにした。

●東日本大震災・原子力災害伝承館公式サイト

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一面が吹き抜けのガラス張りで外の風景ともつながった大きな施設。
パネルには、双葉町の他、浪江町や富岡町などの被害状況や帰還・復興の現状が書かれていた。

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場所は津波被害も甚大だった中野地区だ。

避難指⽰解除準備区域で、今は復興拠点として企業誘致が進んでおり、すでにいくつもの企業の建物ができあがっていた。ぱっと見、できて間もない埋め立て地のような空間になっている。

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この伝承館では、あの時原子力発電所で何が発生し、どんな被害がもたらされたのかなどを展示パネルや写真、映像、模型などで学ぶことができる。原子力発電所が水素爆発を起こし、放射性物質が外にでてしまう中、入院患者の避難がスムーズにいかず多くの人が命を落とす羽目になったことなども。

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映像資料も多数あり、12年経って忘れていた、あの数日間の非常に緊迫した状況などを思い出す。

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除染ボランティアにも参加したので、不謹慎かもだけど線量計などはちょっと懐かしかった。
私の機器だけおそらく故障で異様に高い数値がでてしまい、「どうしよう・・・この数値を記録に残すともうあなたは一年間、除染ボラには参加できなくなってしまうんですが」と言われ困惑したのを思い出したり。

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人家の近くや畑の脇など至る所に積み上げられていた黒いフレコンバック。
中には刈った雑草や落ち葉、土などが詰め込まれていた。今はバイクで走っていても目にすることはなくなったが、もちろん処分完了したわけではない。中間貯蔵施設に運び込まれたまま、今もすべて福島県内に残っており、他県への運び出しは実現していない。

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帰還困難区域の封鎖か所に設置されている看板も。

今回初めて訪れて、展示物などを見ながらいろいろ思い出したこともあるし、「そうだったのか」と驚かされたこともある。
その後、全国の原子力発電所もひとつまたひとつと再稼働され、当時の危機感も薄れつつあるが、忘れてはいけないことはたくさんあるし後世に伝えていかなくてはいけない教訓もある。

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伝承館は、本当に訪れる価値のある施設だと思った。

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東京電力の施設である「廃炉資料館」にも行った。
こちらは双葉町の南にある富岡町の市街地の真ん中にあり、「東日本大震災・原子力災害伝承館」からは国道6号を経由して15キロ/車で18分くらいの場所。

実は自由に展示物などを見れるのかと思って予約もせず行ってしまったが、実はすべてガイドツアー形式。
私が到着した15時半がその日の最終ツアーの開始時間で、最初のビデオが始まったばかりのところに混ぜてもらうことができた。

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地震直後の、原子力発電所を緊急停止させるシーンや、その後の津波でこの制御室も停電で真っ暗闇になる場面など、緊迫感に満ちた映像を見ることができる。

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燃料棒の模型。

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原子力発電の仕組み解説なども。

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さらに、なぜ大量の汚染水が発生してしまうのか。その汚染水から有害物質を取り除くも、トリチウムだけはどうしても除去が難しい理由など。

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そしてもっとも重要な廃炉作業、非常に困難を極めている燃料取り出し。
ロボットを使ってのテストなども進められているそうで、そんな映像も見ることができる。

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廃炉はまだまだ長い年月がかかる道のりで、きっと今携わっている人達の多くは一生をこの廃炉作業にささげることになるのだろう。
それでも4つの建屋は建造物で覆われ、敷地内の放射性物質を浴びたがれきなどの撤去作業も終わり、膨大なマンパワーとコストを投入して作業が着実に進んでいることが理解できたのはよかった。

一時期メディアなどで取り上げられていた、全国から集められた作業員たちの過酷な労働環境改善に関する説明もあった。

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ツアーは60分で、一日数回、90分のロングバージョンのツアーもある。
予約なしでも、満席になっていなければ自分のように飛び込み参加できるし、到着時間が確実にわかるなら事前に電話予約していけば安心だ。

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廃炉資料館を出て、駐車場に停めていたバイクのところまでやってきたところ、70代くらいかなという男性に「バイクいいね」と声をかけられた。千葉から来ていることや鍾乳洞を見に行った話などしながら15分くらい立ち話をした。

「富岡も新しい建物どんどんできて変わってきましたね」といったら、「若い人が全然戻ってこないからダメだ」「団塊世代の俺らが死んだら人がぐっと減っちゃうよ」と。

富岡の帰還困難区域に家があり、その家が3.11の時、建てて住み始めてなんと2ヶ月だったそう。そんなわけで諦めがつかず、近場の復興住宅に入って草むしりに通ってるのだとか。

せっかく建てた家に早く住みたいですよね、というと、でも戻ってくる人が少ないから治安が悪くて心配とも話していた。
早期解除を祈ってますと言って別れたが、本当にたくさんの人がこの男性のように辛さや不安を抱えて生きてきたんだよなあと。

●東京電力廃炉資料館

両方まわると、移動含め3時間くらいはかかるが、その価値はあると思う。
高校生や大学生などにもぜひ見て欲しい。

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