<青ヶ島2泊3日ひとり旅>ひとりで行くと遭難リスクも!樹齢230年超の大杉
集落散策から戻り、民宿で昼食をいただいているとオーナー佐々木さんがやってきた。
「大阪から来てる女性連れて大杉行くんだけど、和田さんも行く?」
弟さんが運営している民宿に3日前から泊まっていて、船の欠航で島に閉じ込められている大阪の女性がいるという話を、迎えの車の中で聞いていた。
「ひとりでは行けない場所だぞ」
「どんな場所なんですか?」
「幻の大杉だ(にやり)」
そういってお茶目な笑顔を見せた。
そして佐々木さんの車で3人、大杉に向かった。
トンネルをくぐると突如現れた丸山。
その縦ラインゆえ「プリンのよう」とも言われる外輪山中央の火口丘。
私は最初に写真を見た時、これを思い浮かべた。
テレビの映像や写真でしか見たことがなかった丸山を生で見ることができ、テンション一気にあがる。
そして車は外輪山の中の道をぐるり走り、丸山の麓のビニールハウスが立ち並ぶ場所で停まった。
「ここは甥がやっているんだ」
「何を作ってるんです?」
「切り花だよ」
「へー、ここから切り花を出荷してるんだ!!!」
船しか輸送手段がない島で切り花を作って出荷していることに驚いた。鮮度は保てるんだろうか。そもそも簡単に船が欠航になってしまうのに大丈夫なんだろうか。
中を見せてもらうと、オリヅルランを巨大化したような植物が奥までびっしり。
これ何が咲くんだ?まったく想像がつかず、大阪の女性と首を傾げる。
「これは何ですか?」
「切り花だよ」
さっきと同じ答え。
「どんな花が咲くんですか?」
「花?花は咲くっけ・・・、ああこの小さい白いのが花だ」
「???」
実は改めて話を聞いたら、「切り花」ではなく「切り葉」だった。完全に聞き間違えだ。
この葉が生け花などに重用されるそうで、一枚数十円の値がつき、切った後もそれほど鮮度落とさず出荷できるとのこと。
消費地から300キロ以上も離れた離島は、何か農作物を作って出荷しようにも輸送コストも馬鹿にならない。この切り葉のような軽いものはそんな点でも有利なのかもしれない。
そしてここからが、大杉探索ウォークの始まり。
木に縛り付けられたリボンを頼りに雑木林の中に入っていった。
いや、雑木林というのは違うか。
最初の頃こそ、舗装されていない雑木林の中の道といった感じだったが、次第に周辺風景は「ジャングル」化してきた。
至る所に生えているこの大きな葉の植物は、オオタニワタリ。高さもかなりあるのだが、佐々木さんに「根元のところよく見てみろ」と言われ見てびっくり。
なんとこのオオタニワタリ、岩の上に生えているのだ。
根っこが団子状になっており、雨によってもたらされる水分をしっかりキープするのだという。岩からではもちろん養分も取れず、落ちてきた葉や自身の枯れ葉などから養分吸収しているのだとか。
着生植物で、熱帯や亜熱帯では樹木の幹や枝に付着して成長する。ただし、日本本土など比較的寒冷な地域では岩の上や地上で生育するものが多くなる。 葉がお猪口型になるのは、落ち葉をここに集めて、自分が成長するための肥料とするための適応と考えられる。ここに溜まった落ち葉はやがて腐葉土になり、葉の間から出る根によって保持され、株の成長とともに株の下部に発達する根塊の一部となる。
見上げると、木に付着して大きくなっているオオタニワタリも。
大きなムロを持つ太い幹の木も。
人が通り過ぎたら、背後で突如うねうね動き出しそうな・・・
そのうち次第に岩場が増えてきた。
「ハイキング程度かと思っていたけど・・・」
と大阪の女性。
私はハイキングとすら思ってなかったよ!
実際はハイキングというより、ジャングルウォークだ。
なかなかハード。
どう考えても履いてくる靴を間違えている自分。
そして岩場も華麗な身のこなしで降りてゆく佐々木さん。
途中、溶岩が冷えてぴしっと割れてできた裂け目などもあり、ひとつひとつ解説してくれた。説明なしでは見落としてしまうものがほとんどだ。
そして遂に辿り着いた大杉!
天明の大噴火でこのあたり一帯は溶岩に飲み込まれたので、その後に誕生した杉。樹齢は230年超とも。
幹も太く、大人三人が手をつないでやっと囲めるほどだ。
幹にはびっしり苔。
湿度の高い島なこともあり、苔が至る所に繁殖している。
観光客も多く訪れる大杉だが、苔にいたずら書きをするような不心得者もいないようで、ビロードのようにきれいなまま残っていた。
三人で記念撮影。
再び来た道を、途中何度かつまづきながら戻った。
手書きマップにはこう書かれている。
『大杉』へは、観光のお客様だけで行かないでください。遭難の危険があります。
そしてどこにも大杉の所在地が書き込まれていない。
確かにここに観光客だけ、さらには一人だけで来たら危険きわまりない。以前にも大杉に出掛けて日が暮れても戻ってこず消防出動騒ぎになったこともあったそう。
たとえヘッドライトを持っていても、こんな場所で夜を迎えてしまったら大変だ。
帰り道、佐々木さんが指さすほうを見ると、大きな丸い窪みが細い木々の間に埋もれていた。以前、炭焼き窯として使われていた場所だそう。
縁部分を見ると石を組んだ壁になっている。かなり大きな円だが、炭を焼く時にはここを完全に蓋で覆って使ったのだという(確か粘土か何かで)。
すぐ近くには煙突だったという穴も。
真っ黒い煤がこびりついていた。
これはアスナロの木。
昔はこれで下駄を作っていたんだと佐々木さん。
それほど長い時間ではなかったが、植物から昔の島での生活まで、いろいろ教えてもらい本当に貴重な体験ができた。
感謝!
「tokyo reporter 島旅&山旅」というプロジェクトの取材レポーターとして、「青ヶ島」を二泊三日で旅し、記事を書いています。