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クルド難民

写真昨日、取材で表参道に行ったところ、国連大学のところにテントが二張。「KURDISH REFUGEE CAMP」と書かれている。

帰途、立ち寄ってみると、難民認定を受け入れられず、日本の入管に訴えを続けているトルコのクルド人難民の二家族が座り込みをしているところだった。

クルド難民の問題は、ニュース等でよく目にし気になっていたことでもあり、また、入管行政についての問題提起の記事をちょうどアムネスティの会報で読んで興味を持っていたので、立ち寄ってみた。

写真難民認定を求め7/13から連続座り込み中 クルド人の2家族12人

もちろん「難民」を名乗る単なる出稼ぎ者が増えてしまうという問題もあるものの、日本の場合、そんなざる状態を心配する以前に、「ほとんど認定されない」非常に厳しいもののようだ(年間 数十人程度)。

クルディスタンという地域をトルコ、イラク、イラン(シリア、旧ソ連にもまたがっているという、互いに国境をはさんで争う国に分割されてしまい、国を持たない民族であるクルド人は、トルコでも長い間クルド語の利用が禁止されていたり・・・と、迫害を受けている。イラクでは毒ガスによる住民虐殺事件も起きている(「ハラブジャの悲劇」)。

クルド人&クルディスタンとは


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自分がクルド人に初めて会ったのは1992年、イラクの湾岸戦争から一年が経過した頃だった。当時、一年住んでいたエジプトからトルコに陸路で抜けようとしていた自分は、シリアの首都ダマスカスで、客引きにひかれてある安ホテルに入っていった。狭いロビーには「どっからでてきたんだ・・・」と、都市部には珍しいほどの格好をした老人をはじめ、何人かの人が椅子に座って話をしていた。

・・・のだが、何を話しているのかわからない。

同じアラビア語でも、エジプト方言とシリア方言はかなり違う。
とはいいつつ、理解できないほどではないので、全部はわからないにせよ、どんな話をしているのか漠然とはわかるレベルだった。

「シリアの青森弁か?」

部屋が空いておらず、とりあえず・・・ということで、ほとんど物置のような狭いところにベッドを突っ込んだところに通された。荷物を置いて、ふとベッドの頭のほうの下をのぞくと、小さな冊子が山積みになっている。

一冊手にとってみると、それは英語で書かれたもので、イラクのクルド人虐待を告発するリーフレットだった。なんでこんなものが、こんなところにあるんだ?

ロビーに戻ると、相変わらず何人もの人が出入りしているが、ホテルの従業員の話す言葉も含めて、やっぱり基本的にわからない。聞いてみると、従業員も宿泊客もクルド人ばかりで「うーん、アラブは滅多に泊まらんなあ・・・」とのこと。

どこでもそうだが、少数民族に属する人は外国人が興味を示すと、非常に積極的に自分たちのことを話し始める。この時もそうで、こちらが片言のアラビア語が話せると知ると、クルド問題について激しく語り始めた。数は忘れちゃったが、各国が公表しているクルド人の数は嘘っぱちで、本当はイラクでもトルコでも、相当数のクルド人がいることや、差別が行われていることなど。「シリアのクルド人にとって、トルコやイラクに住むクルド人も仲間なのか?」と聞くと、当然との答え。アラブ人も、同じ言語を使っているから・・・という理由だけでなく「同じアラブ人」としての同朋意識が非常に強いが、それと似ている。「ハラブジャの悲劇」についても、まるで親戚が被害にあったように語っていた。

その後、仲良くなった人達と連れ立って街中に食事に行ったりするようになったのだが(女性がひとりでレストランに入るのはちょっとためらわれることが多い)、何でわかるのだろう、店に入る瞬間に店員が「クルディ?」などと聞き「そうだ」と答えるというシーンが何度かあった。徴兵で、クルド人が多く住むユーフラテス河の奥の地域からやってきているという青年は、「早く帰りたい・・・」とぼやきまくっていた。シリアでクルド人迫害があるという話は聞いたことがないが、決して不満なく暮らしているというのでもなさそうだ。(トルコやイラクに比べたらずっとまし、という話はしていた)

興味深かったのは、クルド人の顔つきや宗教だ。
どう見ても日本人としか思えない顔立ちの人もいた。
碧眼にブラウンの髪という人もいた。
イスラムでもクリスチャンでもないという人もいた。アラビア語で語られたその宗教の名前は忘れたが、話を聞いていると、善悪の神、火の崇拝など、ゾロアスター教やその流れを汲むような宗教なのかな?と思った記憶がある。

クルド語もその時いくつか教えてもらったんだけど、忘れてしまった。
数の読み方などがペルシャ語に似ていた気がする。


なあんて昔の思い出がよみがえってきた。


難民認可が下りるといいなあ。
ということで、とりあえず署名だけしてきた。

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