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カイロの夏祭り

昨日参加させてもらった勉強会後の飲み会で、すごい人に会った。とにかく話が面白く、それ以上に手がけているプロジェクトが壮大。聞いているだけでワクワクするようなライフスタイルの話が、とても印象的だった。こういう人が未来を作ってゆくんだなと実感した。

で、もうひとつ驚いたことがある。

その人は、昔エジプトに3年程いたという。
私もいた。

時期も重なっていた。
湾岸戦争が勃発した年、1991年だ。

私は、しがない貧乏学生(観光ビザだったけど、バイトもしていた)。一応日本人会に入っていて、9月にはカイロ・マリオットホテルの中庭で、夏祭りが開催された。

懐かしくなって、昔のアルバムを開いてみた。



写真に写っているのは、真ん中が自分、右側が住んでいたアパートの大家さん夫婦の次男でアハマド。忘れてしまったけど確か銀行員だった気がする(いや、それは大家さんの現役時代の仕事だったかな?)

左側がラマダーン。
アハマドの友人で「僕の知り合いで日本企業に勤めている人がいるよ」といって紹介してくれた人だ。

日本人会の夏祭りがあるといったら、珍しいから見てみたいということで、三人ででかけた。

大家さん夫婦の次男アハマドは、なかなかハンサムで、きれいな婚約者がいた。親切で真面目な青年で、大家さん夫婦と一緒に「一番下の妹」として面倒を見てくれた(夕食など大家さんの家で一緒に食べることが多かった)。

ラマダーンは、典型的なエジプト男性で、とにかく「おしゃべり」。
夏祭りでは、勤め先の日本人社員数名と出会って「今日はネクタイなんかしちゃってどうしたんだ?」とからかわれていた。まあ普通にエジプト人的感覚だと、五つ星マリオットでフェスティバルといえば、ぱしっとスーツ着てくるよなあ・・・カジュアルなお祭りだと説明しておけばよかったと後悔した。

冒頭で書いた人とは、その夏祭りですれ違っている可能盛大だ。
というか、ラマダーンの勤め先がその人の会社だったので、「ネクタイなんかしちゃって」の時に会っているような気もしてきた。偶然ってすごいなあ。



日本人は浴衣姿の人も多かった。
現地駐在の人は、「国際交流」といった意味もあるのか、浴衣をちゃんと持ってきているようだ。
自分が知り合った都市銀行の駐在員は、日本で「日舞」を習ってきたといっていた。

あのスローな舞いは・・・外国人が見て理解できるのだろうか。
アパートに遊びに行った時に見せてもらったら、スローモーションで動く芸のようだった。

湾岸戦争から半年もたっていなかったので、駐在スタッフの奥さんや子供は日本に帰国してしまっている人も多かったが、それでも結構な数の子供たちもいて、スイカ割りや屋台など、日本的な夏祭りを楽しんでいた。



日本料理屋もいくつかあり、そこのスタッフだったと思うけど、はっぴをきて、屋台を担当していた。
エジプト人は、とっても陽気な人種だ。

学校に復学しなくちゃいけないというのがなかったら、きっと住み着いてしまったかもしれない。
20歳前後のあの一年の濃い~体験が、今の自分に強く影響している。



ちなみにこっちは別の時にあった、もちつき大会。
今でもやっているのかなあ。

エジプトで撮影した写真を見ていたら本当に懐かしくなってきた。
いつか暇を見つけて、アルバムまるごとスキャンしようと思った。

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