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「1989年1月7日」なにしてました?

今からもう20年も前の話なんですね。
寒い朝、高校の制服に着替えてテレビをつけたら、昭和天皇崩御の報が流れ、黒ネクタイの小渕官房長官が「平成」って筆で描かれた紙をもって記者会見に臨んだんです。

受験直前で、特に他の思い出もほとんどない時期だっただけに、結構鮮明に覚えていたりします。

平成っていう字、達筆な人が書いたのか普通の人が書いたのかよくわからないなあと思っていた記憶があるんだけど、今Wikipedia見たら、誰がどんな机で書いたのかまで載っていた。すごいなあ。

小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。
記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボールと風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知ったとき、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。また、4枚目を選んだのはうまい下手に関係なく、はじめから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。(Wikipedia「平成」の項目より)

こんなのもあった。

で、自分は何をしていたのかというと、最初に書いたけど、冬休み明けで高校に行こうと制服着てテレビつけていたんだけど、天皇お亡くなりになったし元号も変わるから、学校休みになったりしないのかなあとか思いながら、よくよく考えたら実は休みだったという落ちだった気がする。

いや、1月7日は始業日だったのかな?
高校3年生だけ、学校に行かなくてもよかったのか?
自分のことだから、特別報道見たくて自主休校(?)にした可能性も大だなあ。

どうだったんだろう?

なんかふと疑問に思ってしまった、20年前の出来事でした。

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