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インターネットマガジン11月号

写真「実は私は、インターネットマガジンを創刊号から購読していたんですよ・・・」というのは、アフィリエイト・ポータルネットの石川氏。
流石!

インターネットマガジンは、創刊10周年を迎えたという。今発売されている11月号は10周年記念の太っ腹企画ということで、今年の1月号から10月号までの特集記事を集めてPDFにし収録したCD-ROMがついてくる。ブログ&アフィリエイト&SEOネタ満載なので、興味ある人にとっては嬉しい(バックナンバーを買わずに、これ一冊で10冊分の特集記事が読めてしまう・・・)

 
10周年記念ワイド特集として、「インターネットの歩み1994─2004」というのもある。自分が右も左もわからないネット業界に飛び込んできたのが1998年。なので、その後のことは、年表を見ているだけで懐かしくなってくる。

1998年10月 アップルが「Mac OS 8」を世界同時発売
1999年01月 リクルートが生活情報サイト「ISIZE」をオープン
・・・

当時は、ライコスで広告営業管理の仕事をしていた。なので、これらの出来事を読んでまず思い浮かべるのは、468×60ピクセルのバナーだったりする。

それでは10年前、1994年の今頃、何をしていただろう?
実は、秋葉原に足を踏み入れていた。

1994年は、大学をでて住友銀行(現三井住友銀行)の浅草橋支店に配属となった年だ。夏のボーナスは勤務3ヶ月で気持ち程度しかでなかったので、1994年冬のボーナスが最初のまとまった収入だった。

「ボーナスで何を買う?」が新人同期の話題になっていた。

自分は、それで、最初のマイパソコンを買おうとしていた。
秋葉原は、浅草橋の隣駅。
仕事が早く終わると、秋葉原で途中下車して、
お店をいくつか回っては店員さんの説明に耳を傾けていた。

高校時代から触っていたとはいえ、パソコンに詳しいわけではない。ただ選ぶのはそんなに大変ではなかった。というのも、そもそも選択肢が今程なかったからだ。(もちろん、SONYがパソコンを発売する日が来るなんて、思いもしなかった)

写真そして購入したのは、NEC98シリーズのデスクトップで初心者向けに売り出していた「98MULTi CanBe」。Windows3.1が立ち上がると「きゅーはち君」というかわいいミツバチのキャラクターが画面を横断して、勝手にナビ役を務めるのが、妙に素人っぽくて不満だった(キャラ自体はかわいいのだが)。で、「どうしたらこれを止められるんだろう?」というのが、最初の取組みになった記憶がある。

購入後数週間は、戦いの日々だった。
パソコン通信「ニフティサーブ」に加入して接続しようと、帰宅すると晩御飯も食べず、床上に直接置いたパソコンに張り付いて不慣れなキーボードをたたいていたのだが、うまくいかず1週間。まだ専用ソフト「ニフティマネージャー」もなかったので、超ど素人には、越えるべき壁がいくつもあった。結局、つまづいていたのは「内線設定」で、今考えれば、とても簡単なことだったのだが、そもそも「コンピュータからコンピュータに電話をかけて認証」ということが全く理解できていなかったので、本当に暗中模索だった。

生活も今とは大違いだった。

朝6時半には寮をでて、7時半に支店に入り机の拭き掃除。帰宅後は寮生活なので食堂で夕食を食べ、お風呂は地下の大浴場。部屋に戻って、銀行協会の通信講座で「税務」「簿記」「銀行業務」「与信業務」のお勉強・・・という今では考えられないような真面目でストイックな生活をしていた。

そんな規則正しい生活を、
・・・今考えれば、パソコンそしてパソコン通信が変えたのかもしれない。
朝早い銀行員、しかも緊張の一年目としては許されないのだが、寝不足の日々が続き、支店内1Fフロアであくびがでそうになっては、必死に飲み込んだ。普通預金から300万円引き出して、定期預金に300万円入金するのに、なぜか両方に入金処理していた。「銀行員、向いてないかも・・・」という自覚が、自分の中でどんどん膨らんでいった。1994年から1995年にかけてはそんな日々だった。

いやー、懐かしい。
でもその頃に、インターネットマガジンは創刊されていたのか。

なあんて感じで、この10年を振り返ってみたい方は、
本屋さんで立ち読みしてみよう。
(割とすぐ売り切れになっちゃいます)

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