帰国!~開発ラッシュのシルクロード都市
いや本当にびっくり!
実は途中で、知人からメールをもらった。
そうかー、トルファンにいるのか!僕は23年前に行きました。
みな中山服か軍服しか着てなくて、
トイレも扉どころか仕切りもなく、
毎回ひと喧嘩しないと前に進めない時代。トルファンは舗装道路ほとんどなかった。
自分がイメージしてたのも、たぶんこの頃見た写真集なので、砂埃に煙る「砂漠の中のオアシス都市」の姿。
実際には、ウルムチもトルファンもカシュガルも、街の中心部は「大都市」。「舗装道路はほとんどなかった」トルファンの中心部は、大きな噴水がある公園の脇を複数車線の道路が走り、広い歩道は街路樹で覆われている。
ウルムチやカシュガルでは高層ビルや豪華ホテルが建ち並び、ブランドショップなど入った巨大な商業ビルのガラスがきらきら。
モノであふれ返っていた。
中国西域では石油採掘もあり、開発が急激に進んでいると読んだが、確かに景気のよさを感じる。
そして街中の近代化・開発は急ピッチで現在進行中だ。
一帯のレンガ作りの住居・店舗群をを崩し更地にして、そこに巨大な商業ビルを建てる大規模な開発があちこちで行われていた。
もちろん、一瞬通り過ぎるだけの旅行者でも「格差」は感じる。あふれ返ったモノや都市開発の恩恵を全体が享受しているわけではないんだろうな。ただ格差というよりは、なんだか全く質の違う2つの社会が並存してるような気もした。うまく説明できないけど。本やネットで、もう少しこのあたり、勉強してみたいと思う。
今だから見ることができた風景もたくさんあった。
5年後に同じ街をまわったら、また全く違う顔になっている可能性は高い。
「私は北京オリンピック前年に旅行したことがあるんだけどね・・・」
何年・何十年後かに、
誰かにそんな思い出話をしているかもしれない。
同時に、バザールなど「一体どこから?」というような人が集まり活気に満ちていた。
ウイグル族が多く住むエリアでは、昔ながらの風景もあちこちで見られる。
オアシス都市には、周辺の村の人達が農産物などを馬車に積んで持ち込み、それをバザールで売ってお金にし、日用品を買って帰る──昔なにかで読んだそのままの風景があった。
きれいな大通りを、幅いっぱいに広がった羊の大群が歩いていたりするのも面白い。
漢字とアラビア文字が併記された看板。
ガラス張りの高層ビルが並ぶ大通りからちょっと先に進むと、屋台がたくさん並び、職人さんが金槌ひとつで鍋を作り出している路地が広がっていたりする。
新しい部分も古い部分も、
いろいろな要素が狭いエリアにぎゅっと詰め込まれたシルクロードの街は、とてもエキサイティングだった。
> 続く