• 広告を利用しています/紹介製品の価格・スペックは記事作成時点のものです

<いわき>豊間・薄磯地区の津波被害

塩屋埼灯台の南側には「鳴き砂」で有名な豊間海水浴場が、そして北側には「日本の渚百選」にも選ばれた薄磯海水浴場がある。地盤沈下で砂浜自体なくなってしまったところもあるが、ここのビーチは今も美しく、鳴き砂も奇跡的に失われなかったそう。

しかし地区の被害は本当に大きい。
塩屋埼灯台から薄磯地区を見た時には、思わず目を疑い絶句してしまった。

豊間地区では、海沿いの家が数多く津波で全壊した。
コンクリ基礎だけが残る。

すぐ向こうは、波も穏やかな海だ。

そのコンクリ基礎を撤去する工事があちこちで行われていた。

薄磯地区は小高い丘のすぐ手前まで建物が消失していた。
残った豊間中学校の校舎も、津波で一階部分が破壊され、校庭はがれきの集積所になっていたという。

私が横を通った時は、そのがれきを校庭からすべて移送する作業の最終段階だったようだ。

●豊間中学校のガレキ、片付けられています | 薄磯復興協議委員会 We Love 薄磯薄磯復興協議委員会 We Love 薄磯

薄磯復興協議委員会のサイトを見ると、校舎を取り壊さず残すことはできないかという要望も綴られている。

●何とか豊間中学校の校舎を残せないか。 | 薄磯復興協議委員会 We Love 薄磯薄磯復興協議委員会 We Love 薄磯

同窓生にとっても、家族や家などたくさんの大切なものを失った地区の人々にとっても、 この校舎はあの大津波でも残った唯一の建物であり、心の支えでもあります。この校舎は貴重な震災遺構です。震災前、この校舎で学校生活を送って巣立った同窓生たちの多くの思い出を生み、また、これからの未来、あの大津波の惨禍を後世に語り継ぐことのできる建物の生き証人です。

地区には、数十人の高校生もしくは大学生くらいの若い子達も大型バスに乗ってやってきていた。被災地スタディツアーなのだろう。ノートに何かを書きとめている子もいて、皆少し緊張したような面持ちで写真を撮りながら歩いていた。

被災地を訪れ学ぶ無料のスタディツアーも開催されている。

●スタディツアーのご案内|いわき復興支援・観光案内所

ここも今は、流出家屋のコンクリ基礎の撤去作業が進められている。

一角が砕いたコンクリの集積所になっていた。

地区復興プロセスの大事な一歩だが、最後に残った建物の跡も消えてしまうことを悲しく受け止めている人もきっといるのだろう・・・そんなことを考えながら、いわき駅前に向かうバスの停留所を探し歩いた(体育館奥に「塩屋埼灯台下」というバス停があったはずなのだが、見つけることができず、結局豊間小学校前のバス停まで歩いた)

一日も早く地区が復興し、また新しい思い出がこの地でたくさん生まれていくことを祈って。

●[震災]いわき市の沿岸部で聞いた話:裏[4k](ura_shike)・・・2012年のブログ記事です。地元の方から聞いた話も書かれています。

[旅]いわき海辺ウォーキング2014年3月の記事一覧