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<いわき>一般公開も再開、白亜の「塩屋埼灯台」

小名浜港から海沿いを10キロくらい北上したところに「塩屋埼灯台」がある。この灯台の麓の豊間・薄磯地区は津波被害が非常に大きかったエリアで、灯台も地震により大きな損傷を受け、2011年秋には再点灯したものの、一般公開はずっと休止されていた。

その塩屋埼灯台が、先月2月22日、遂に一般公開された。

●塩屋埼灯台、被災3年ぶり公開 福島、ひばりさん歌碑も:朝日新聞デジタル

映画「喜びも悲しみも幾歳月」の原作の舞台で、美空ひばりの「みだれ髪」でも歌われた福島県いわき市の塩屋埼灯台に22日、3年ぶりに観光客が戻った。県内有数の観光名所は東日本大震災で被災し、立ち入り禁止となっていた。

筋力落ちているのか、ここまでの距離で足は既に筋肉痛になりかけていた。
しかしここでへたばるわけにはいかない。

目指す塩屋埼灯台はあと少し。

・・・なんだけど、

うっわ、高いよ!!!

でもこの階段を、ほとんど走るように駆け上ったのにはわけがある。
上の写真を撮影した時間が、15時31分。

そして一般公開時間が夕方16時まで。
ということは、「入場は15時半まで」とか言われてしまう可能性もあるからだ。既に時間は過ぎていたが、10分以内くらいなら「小名浜からここまで歩いてきたんです」と泣き落としもできそうな気がした。

気分は「全力坂」。

全身汗だくで辿り着いた灯台エリア入口写真の撮影時間が15時36分なので、あの道路からここまでをわずか5分で駆け上ったことになる。頑張った自分!!!

やはり入館受付は15時半までだったが、チケット売り場の女性スタッフは何も言わず通してくれた。ほっ。

明治32年に設置された時は煉瓦石造だったそう。
Wikipediaによると「日本の灯台50選」にも選ばれたとのこと。

立地と、白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれ、地元では「豊間の灯台」とも呼ばれている。周辺は、磐城海岸県立自然公園に指定され、太平洋に臨んで、北に薄磯海岸、南に豊間海岸と海水浴の適地に恵まれ、マリンスポーツファンにも人気がある。

本当に美しい。
通路や手すりは、一般公開に向けて新しく作られたものだ。その復旧工事の写真がasahi.comに載っている。

●福島)被災した塩屋埼灯台、2月下旬から参観再開:朝日新聞デジタル

昨年補修中の灯台の写真もこのブログ記事にアップされていた。

●塩屋埼灯台補修工事 - 海の見えるログハウス - Yahoo!ブログ

豊間・薄磯地区のシンボルともいえる灯台、その一般公開再開を待ち望んでいた人は多かったんだろうなと思う。私も今回来れて本当によかった!

記念撮影ぱしゃり。

灯台までの階段を駆け上ってきた身にはこの「103段」は最後の試練だったが、途中で止まると気持ち折れそうな気がしたので、50段目で一回足を止めた他は段数をカウントしながら一気に登った。

ちなみに灯台内はこんな螺旋階段が延々と続いている。

103段目に待っていたのは息をのむ美しさの太平洋。
なんてきれいな海の色!!!

灯台すぐ下の岩場があるところ以外、波もなく穏やかすぎる海面。
少し緑がかった青色は、いつまでもずっと眺めていたくなる。
吸い込まれそうだ。

こちらは歩いてきた道のり。

豊間地区は津波被害が甚大だった場所で、海沿いの多くの家屋がコンクリ基礎だけ残して消失していた。その基礎撤去の工事が至る所で行われている。

灯台の北側も美しい海の色。
白波が静かに打ち付けている場所が、海水浴場としても有名な薄磯の海岸だろう。

ただ陸地に視線をうつした時、一瞬目を疑ってしまった。

薄磯地区は、中学校と数軒の家屋を残し、何もなかった。
岩手の陸前高田市や大槌町とまったく同じ風景。今回本当に申し訳なく思ったことに、いわき市でここまで大きな被害を受けている地域があったことを私は知らなかった。

薄磯海水浴場は、「日本の渚百選」にも選ばれている。

Wikipediaに保存されているのは、まさに同じ場所から同じ角度で撮られた写真だった。

●ファイル:薄磯海岸.jpg - Wikipedia

在りし日の薄磯地区は、個人住宅が立ち並んでいる。
有名な海水浴場のある集落、民宿や商店もきっと多かったのだろう。

灯台の一階部分には展示室もあり、灯台に使われているレンズの構造が解説されていた。
光をなるべく遠くまで放射するための仕組みなど。

麓に降りてくると、美空ひばり「みだれ髪」歌碑が設置され、歌も流れていた。

●みだれ髪 (美空ひばりの曲) - Wikipedia

[旅]いわき海辺ウォーキング2014年3月の記事一覧