山東省旅行(7)世界遺産の曲阜~顔廟と孔林
中国が生んだ偉人─孔子─はアジア諸国だけでなく欧米でも広く知られている東洋を代表する思想家だ。特に日本・韓国では儒教思想が社会にしっかり根付いているとも(意識したことないけど)。日本では学問として儒教が奨励された時代も長い。
それはともかく、改めて考えるとすごいなあと思うのは、孔子が
「紀元前552年生まれ」
の人だということ。
聖徳太子が7世紀の人なので、それよりさらに1000年以上も前だ。
ソクラテスも紀元前5世紀の人なので、むしろその時代のほうがすぐれた思想家・哲学者がでる環境が整っていたのかもなあ。
孔子の子孫で著名な人物には子思(孔子の孫)、孔安国(11世孫)、孔融(20世孫)などがいる。孔子の子孫と称する者は数多く、直系でなければ現在400万人を超すという。孔子に敬意を表するため、孔子その人に様々な封号が贈られたのは前述の通りであるが、その子孫にも厚い待遇が為された。(Wikipedia「孔子」より)
子孫400万人!!!
と思ったけど、確かに2500年もの間にネズミ算式に増えていったら、400万は多すぎるとしても相当な数になっていてもおかしくない。
なにしろこの長い間ずっと「孔子の子孫」として優遇され続けてきた一族なのだから。
山東省曲阜市には孔廟、孔林、そして孔府(旧称・衍聖公府)がある。(いわゆる 三孔)。第46代孔宗願から、第77代孔徳成に至るまで直系の子孫は孔府に住んでいた。なお、孔徳成は中華人民共和国の成立に伴い、1949年に台湾へ移住している。 中華人民共和国の外交官孔泉は、孔子の76代目の子孫といわれる。
その孔子の直系を含む多くの子孫たちが代々暮らし続けてきたのが、孔子が生まれ育った当時の魯の国の首都「曲阜」だ。
ユネスコの世界遺産にもなっている。
市内はほどよい大きさの静かできれいな街で、中心部は今も城壁に囲まれている。
到着したのは夕方だったので、まずはユースホステルすぐ隣の「顔廟」へ。孔子の弟子、顔回を祀るため漢の高祖が創建したものだ。
閉園ぎりぎりの時間だったこともあり、観光客はいなかった。
緑と赤のコントラストが美しい静寂な空間。
一番奥の建物は修復中だった。
孔子にちなんだ史跡は市内に固まっている。
そのうち「孔林」だけが少し離れたところにあるので、観光客目当ての馬車や人力車が顔廟の角にたくさん停車していた。
ここで今回初めて、三輪自転車に乗った。
今は電動自転車のものも多いけど、このおじさんは人力でこぐ自転車。自転車が古いせいもあり、ものすごい必死に漕いでいるのがなんだか申し訳ない(そんな重たい方ではないと思うが・・・)。
途中でいきなり降りてどこか行ってしまうから「なんだ?」と思っていたら、スーパーで水を買っていた。なんだびっくりした。
そして到着した孔林。
長い参道のような通りがあり、その両脇にはお土産屋さんがたくさん。
門には「至聖林」とある。
至聖は、のちの時代の為政者が孔子に贈った称号だそう。
この曲阜の孔子史跡では非常に珍しいものを見つけた。
何かと言うと・・・
自動販売機だ。
日本では当たり前だが、逆に日本ほど街中に自動販売機があふれてくる国は恐らく他にないと思う。中国・北京でも自動販売機を見ることはほとんどない(本の自動販売機とかは見たことがあるけど)。
それが曲阜の観光名所内には多数設置されていた。
敷地内に飲み物を売る店をまったく置いていないのでそのかわりなのかもしれない。
驚いて思わず写真を撮っていたら、中国人観光客グループに
「きっと生まれて初めて自動販売機を見たのね」
的なまなざしで微笑まれてしまった。
いやいや違うし!!!
入口近くに園内周遊車的なものがあったのでチケット買って乗った。これ正解。
敷地はものすごく広かった。
歩いてまわろうと思ったら中心の一部しか行けなかったと思う。
ここは実は孔子の子孫たちのお墓があるところ。
最初気付かなかったけど、このこんもりしたところすべてがお墓らしい。
歴代の子孫の中には、孔子以外にも有名な人が結構いて、そういう人達のお墓?石碑?の前ではガイドの解説も。ほとんどわからなかったけど。
そして中央部分で車を降り、歩いて門をくぐる。
柵乗り越えて入っちゃいけないし、乗っちゃいけない気もするけどまあかわいいからいいか。
中国では観光地で結構こういう風景を見る。
本当に駄目なものは絶対に触れないようにしてあるので、それ以外は結構ゆるい感じなのかも。
日本に来ている中国人旅行者も、「あそこに乗って記念写真撮りたい!・・・けど誰もやっていないからダメなのかなあ」ともどかしい思いしていそうだ。
ここが孔子のお墓。
備えるためのお花もすぐ近くで売られていた。
手前には参拝用のクッションも。
これは孔子の弟子の子貢が自ら植えたという樫の木。
顔回とか子貢とか、大昔に漢文や世界史の授業ででてきた名前がこうして登場して、おぼろげな記憶を手繰り寄せることができた瞬間は、ああ、あの頃「覚えられん!!!」とか思いながら一生懸命暗記していたことにも意味があったなあと思う。
そして帰りは電動自転車でユースまで。