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陸前高田の巨大ベルトコンベア

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先週末、久しぶりに岩手県・陸前高田市を訪れた。
昨年まで暮らしていた埼玉県・上尾市のボランティアチーム「ReVA」の活動に参加させてもらい、車3台&7名で仮設住宅のベランダひさし拡張作業を行うためだ。

「陸前高田のベルトコンベアがすごいよ」

と事前に教えてもらい興味津々だったのだが、予想をはるかに超えたものだった。

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陸前高田市は人口2万4千人のかなり大きな街だったが、市街地は津波に襲われ壊滅状態となった。2011年から2012年にかけてボランティアバスに乗って何度か訪れ、がれき撤去作業などに参加していたが、市役所や学校、病院など大きな鉄筋コンクリートの建物を残し、家はすべて破壊されていた。

津波は建物5F、15mもの高さにまで達し、海岸から1.5キロのところまで遡上しているという。

津波に襲われた自治体はそれぞれ、新しい街をどう作るか長い間真剣に議論してきたが、震災後の地盤沈下も大きかった陸前高田市は市街地全体を最大11メートルかさ上げし二重の防潮堤を築き、将来の津波に備えるという選択肢をとった。

●陸前高田市「復興計画」

しかし市街地は非常に広く、かさ上げのために必要な土砂は785万立方m。近隣の山を幾つかつぶす必要があり、トラックでそれを運び続けるのでは半端ない時間がかかる。そこで2014年3月に登場したのが

巨大ベルトコンベア

だ。

上の写真の右側にある茶色い建物は、山から削りだした岩を砕く機械をおさめている。そこで砕かれた土と岩がベルトコンベアにのせられて市街地に運ばれていく。

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このベルトコンベア、地上のかなり高いところを走っているのだが、長さも半端ない。まるで石油パイプラインのようにはるか先まで伸びている。全部つなぎあわせたらいったい何キロくらいになるのだろうか。

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津波に襲われながらたった一本残り「奇跡の一本松」と呼ばれた松の木の周辺も、今はこのベルトコンベアが縦横に走っている。既に土砂運び込みはかなり進んでいて、台形に整えた上から重機で圧縮する作業にも入っていた(地盤の強固さを高めるため何層かにわけて土砂運び込み&圧縮を繰り返すそう)

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奇跡の一本松への遊歩道の近くに、広い駐車場をもつ「一本松茶屋」があり、そこからベルトコンベア全容を見ることができる。

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一区画が終わると、ベルトコンベアを延長したり組み替えたりして次の区画へ移る。

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週末だったので稼働していなかったが、先端は可動式になっていて左右に動くのだという。よく見るとベルトコンベアの切れた先にはきれいな富士山型の土砂の堆積ができていた。これを重機でならし固めてゆく。

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一本松茶屋から歩いていけるところに「陸前高田復興まちづくり情報館」がある。
陸前高田市を訪れることがあるなら、この情報館は必ず行くべき。

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中はパネル展示によって、陸前高田の街づくり計画が解説されている。

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沿岸は広いメモリアル公園になる。
ありし日の陸前高田市を象徴する高田の松原も復活させる。日本の渚100選にもなっていた名所だ。

本市のシンボルでもある高田松原公園を再生するとともに、今回の大震災の多くの犠牲者を追悼、鎮 魂する公園として、大震災の経験や教訓を後世に語り継ぎ、そしてまたより安全で暮らしやすいまちを 創り上げ、「防災文化」として醸成し継承していくため、市街地を防御する機能を兼ね備えたメモリア ル施設を有する高田松原地区・防災メモリアル公園ゾーンの整備を進めます。


そして商業地区、住宅地区も色で塗り分けられている。
これらの街づくり計画はWEBでも見ることができる。

●陸前高田市「復興計画」
●陸前高田市「復興計画」資料編~イメージ図

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防潮堤をどうするかは、どの自治体でも激しい議論になっていたと聞く。陸前高田市は2本の防潮堤を作り、その間の広い敷地に松の苗を植える。

松が育てば、防潮堤をも飲み込んだ広大な松原ができあがる。

高い防潮堤を作ってしまうと、街から海が見えなくなりかえって危険なのではという意見もあり、実際田老ではそんな悲劇も起こったが、街全体がかさ上げされるので防潮堤の裏に深く沈んでしまうということはないのだろう。

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かさあげ計画&進捗状況に関するパネルもあった。

ReVAのメンバーは毎月のように陸前高田市に通っているので、土砂を運び出している山が毎月くるたびに低くなっている状況をウォッチしているのだが、その上空からの写真があった。かなり急ピッチで進んでいるようだ。

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一時間に6000トンの土を運ぶことができ、ダンプカーの5倍以上とのこと。

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9年かかる作業を、このベルトコンベアはじめとする大型重機を導入することで2年半で完了させることができる。

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切り崩している山の上部から市街地を見下ろした写真。
手前が、国道45号線から見えた、岩を砕く機械が収められた建物だ。

ここから斜面をおり、運河も越えてベルトコンベアが伸びている。
「希望のかけ橋」と呼ばれているとReVAメンバーに教えてもらった。

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今は何もない埋立地のような風景だが、2年半でかさ上げが完了した後には、新しい街がここに建設される。

いやきっとかさ上げ完了した地区から再建が始まると思うので、再来年にはきっとかなり様変わりしているのだろう。松原も育ち始めているだろうか。

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実は今回、プロの方がひとり上尾からゲスト参加して作業をリードしてくれたため、予定していた10軒分のひさし拡張はかなり早く終わってしまった。そのため二日目は昼前から時間ができ、珍しく一本松茶屋周辺を歩いたり情報館に入ることができた。

「たまにはボランティア活動だけじゃなくこういう過ごし方するのもいいね」と他のReVAメンバー。

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他にも多くの大型バスが次々やってきて、ガイドから陸前高田市の復興計画や進捗状況の説明を聞いていた。高校生・大学生くらいの若い人もいればシニア世代もたくさん。どの人も真剣な表情で街の風景を隅々まで眺めていた。

たくさんの命が失われてしまった街が、次の津波には悲劇を繰り返さない決意のもと新しい街づくりを進めている。外からふらり訪れたくらいでは、ごくごくわずかしか見ることはできないし知ることもできない。それでも現地を訪れ今の東北沿岸部の状況を実際に自分の目で確認してみることには意味があると思う。

なかなか個人では行きにくいかもしれないが、ReVAでは10月にスタディツアーも開催する。

★10/3~5 埼玉県東松山・上尾発★復興支援バスツアー【行って観て食べて買って乗って応援しよう!】- Yahoo!ボランティア

旅行代金一人29,000円と、旅行会社主催ツアーと比べると値段がやや高めかもしれないが、"被災地"をちょっとバスで通過し車窓から眺める程度のツアーとは異なり、三年間ずっと被災地支援活動を続けていたボランティア団体ならではの企画内容となっている。

三年を経た東北沿岸の街は被災地ではなく復興地となり、今、新しい街づくりのための初期工程が進行中だ。
今しか見ることのできない風景がそこにはある。

ReVA主催の復興支援バスツアーでは、この陸前高田市も通り、三陸鉄道南リアス線にも乗車する。

建物の解体もほぼ終わり、次第に街の様子が変わって来まし た。今のうちに震災の様子を目に焼き付けてください。このツ アーは見て聞いた事を記憶に残し、後世に伝える事に参加の 意義があります。

もし時間がある方がいたらぜひ。

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