倉敷市真備町でのピースボート災害復興支援ボランティアに参加(1)
2018年の漢字は「災」。
今年は本当に災害の多い一年だった。6月には大阪北部地震、7月には広範囲で床上浸水となり犠牲者もでてしまった西日本大豪雨、8月から9月にかけては巨大台風も到来し、大阪や京都の被害を心配している時に北海道胆振東部地震。ボランティアの人たちも「一体どこへ支援に入るべきなのだろう」と悩んだんじゃないだろうか。
私は8月下旬に一週間ちょっとと、10月のツーリング途中に2日間、豪雨被害の倉敷市真備町での災害復興支援活動に参加させてもらった。
活動記録として、簡単ではあるが写真とレポートをアップしておきたい。
東京を高速バスで出発したのは8月19日。
お盆休み時期はおそらくボランティアが全国から集まるピークになるだろうと思ったので、それと入れ替わりで現地入りできたらと考えた。
東京から岡山までは深夜高速バスもでており、3列シートで片道10,200円。新宿バスタを21時半に出発し、倉敷駅到着は8:15だ。
実は今回、災害ボランティア初体験という友人も一緒に参加することになったので、ピースボートに加わることにした。そのほうが現地の状況などの話もしっかりしてくれるしミーティングで情報共有もされるし、足りない道具などがあっても借りれる。なにより宿泊拠点が用意されているので、一週間以上のホテル宿泊代が浮く。
ピースボートは事前予約制になっており、集合時間に新倉敷駅前で待っていると、市内の宿泊拠点まで送ってくれる。
座席すべてを大きなビニール袋で覆った車は、災害支援ボランティアでは見慣れた風景だが、私は久しぶりすぎてドギマギ。いろいろ過去に参加した現場の記憶がよみがえってきた。最後は鬼怒川氾濫で訪れた茨城の常総市だ。
拠点は市内の某所。
到着するとまずはブリーフィング。この日から活動に参加するのは自分含め3人ほどだったが、ピースボートのスタッフの人が写真や地図入りのプレゼン資料を使って丁寧に被害の概要や現在の状況などを説明してくれる。
こういうのがあるとないとでは、活動にかける情熱もやはり変わってくる。
なので初参加という人で、ある程度の日数を使えるのであれば、ピースボートに参加するのは本当におススメだ。
しかも活動期間中は、一日おきに所属するチームごとのミーティングが、その合間に全体ミーティングがあり、ミッションも異なる他チームの活動内容や、被災した方々との会話の中でその方々のどんなニーズや悩み、心情などが見えたかなども共有される。活動中のリスクや災害への備えといった点でもいろいろ学べる環境だ。
着いて早々ラッキーなことが。
炊き出しチームの料理が余って、まかない飯に。東京の有名店で働いているシェフが来ているとかで、びっくりするほど凝ったメニューだ。ペルー料理だそうで名前は覚えられなかったけど。
自分は一応ひととおり必要装備持っているんだけど、今回はピースボート拠点を使えるということで、ヘルメットなどは持参しなかった。ここなら長靴やヤッケなどもあるので、基本、長袖シャツなど洋服だけちゃんとしていればほぼ手ぶら状態でも大丈夫だ。
未経験の人にも、どんな現場で何が必要になるかなど、きっちりレクチャーしてもらえる。
常総の豪雨被災地区含む過去のボランティア経験も事前に提出していた。
なので当然現場だろうと思い、泥だしやる気満々で来たのだが、自分が割り振られたのは、箭田サテライト。
倉敷市は、真備町を中心とした浸水被害があまりにも広範囲にわたってしまい、特に初期には搬出された家具類で道が通れなくなってしまったこともあり、災害ボランティアセンターが現地からかなり離れた場所に作られた。
その関係で、現地には中継地点となる「サテライト」がいくつも作られた。
一番大きいのが、倉敷市真備支所の建物と駐車場を使った箭田サテライトだ。
自分はここで、やってきた一般ボランティア向けのガイドを担当することになった。
現地までやってきて現場に出られないのは(しかも一週間もの期間だと)ちょっと残念な気持ちがあったが、もちろんボランティアなので割り振られた仕事の好き嫌いとかを訴えることはできない。与えられたミッションをこなすのみ。
道具類は電動工具から小さなスコップまでびっしり揃っていた。
お盆明けでボランティアの数が激減している中では過剰なほどに。
ここは消防車とかが入っていたところなのかしらん。
メッセージボードも。
やはり大阪や奈良、京都などから多数来ているようだが、静岡や東京などから来ている人達や大学生も結構いた。
また同じ時期、南相馬市からも市の職員が交代制で応援に来ていた。
真備支所ももちろん被災しており、一階と二階の間の階段の途中には、水があがってきた最上部のラインがくっきり残っていた。
ただ実を言うと、自分がここで活動したのは初日の一日だけ。
翌日からは、もっと小さなサテライトに配置換えになったので。
ちなみにここが倉敷災害ボランティアセンター。
新倉敷駅と真備地区の中間地点あたりの割と高台にある中国職業能力開発大学校(ポリテクセンター)の体育館だ。
10月にここから移転し、今は真備町の中に災害ボラセンがある。
ボラセンにはこんなボランティア向けの情報も。
お風呂の割引や、数は非常に限られているが無料宿泊所もこのころはあった。
そして2日目以降の自分の活動場所となったのがこちら。
真備町の中でも西寄りにある呉妹(くれせ)という地区で、氾濫した小田川がすぐ南を流れている。
地区の医療を担っていた呉妹診療所は平屋の建物で、屋根裏まで完全に水没してしまった。そこを先生のご厚意で9月末までボランティア拠点に使わせてもらっていた。診療自体は、駐車場に作られた仮設の建物で行われていた。
中は壁板や断熱材、天井板まですべて剥がしこの状態。
一般の家屋と違い床がコンクリートなので、この状態にすれば比較的早く再建できる。
呉妹サテライトの運営は、ピースボートからのボランティアが1人と、近隣社協から派遣されてくる2名でまわしていた。ただ近隣社協スタッフは5日交代のためうち一日は引継ぎ、そして仕事を覚えた頃には次の人・・・となってしまうため、ずっと固定で駐在しているピースボートのボランティアが軸として支えている状態だった。それが写真のSさん。
呉妹エリアをまわり、ボランティアニーズのヒアリングをする所からマッチング作業、地元ボランティアとのやりとり、重機の手配などもこなしていた。
本当は相当てんぱっていたと思うんだけど、自分にも丁寧に状況説明してくれ、初期からニーズヒアリングにも同行させてもらった。
ボランティアセンター側スタッフというのは実は初体験。
ただ2011年の東北大震災以降、ボラセン自体は利用者側としてあちこち訪れているので、何をすればいいかは大体わかる。
ボラセンスタッフの笑顔と対応が最高で、何度でもまたここに来て活動したいなと思った陸前高田ボラセンのようなところもあるし、数は非常に少ないけれど「お役所仕事であまりに雑な扱いだなあ」と思わせる人にも出会ったことはある。
遠方から休みを使ってやってくると限られた活動時間は本当に貴重で、少しでも無駄な時間をなくしめい一杯活動したいと思うのがボランティアの心情。多くのボランティアセンターではその気持ちも踏まえて一生懸命準備・手配・サポートしてくれるが、時にはボランティアセンター側のミスや手抜きや理解不足で貴重な時間を浪費してしまうこともあり、そのことを何とも思っていない人に出会うと少々残念な気持ちになったりもする。
自分がボランティアセンター側になったら、そんなことは絶対にないようにしたい、ボランティアの思いには誠意をもってこたえたいと思っていた。現場を実際に見たわけではないボランティアさんに、どの道具が必要かをアドバイスするのも大事な役目。道具が不足すれば作業は非効率になるし、それで最後まで終わらずに引き上げることになれば消化不良な気持ちを抱えたまま帰ることになってしまうので。
あと地区にボランティアに来てくれた人に対し、被災地側の立場で感謝の気持ちを示すこともボラセンスタッフの大事な役割のひとつだ。たとえ自分のように、地元民でなければこの土地にやってきて2日目の一般ボランティアであっても。
特に高校生など若い人には、地元の人達がボランティアが手を貸してくれることがどれだけ力になるのかを話した。
時間があれば被災したサテライト内の案内なども。
自然災害がどれだけの被害をもたらすのか、そうした現状を目の当たりにすることは、ボランティアにとって一生有効な経験値になる。
上の写真は、自分が参加している埼玉県上尾市のボランティアチームReVAの人達が来た時に撮ってくれた一枚。
現地の状況と熱中症対策について話していた時のものだと思う。
短期間だし、バタバタしてしまい十分にやれないことも多かったけど、いつもとは逆側にまわってみるというのはなかなか貴重な経験だったと思う。
台風到来の時はボラセンもサテライトも休止。
もちろんボランティア受付も中止となる。
ただ幸い、ピースボートだと何らかの活動ができる。
自分は呉妹サテライトのSさんの指示で、被災住民向けのいろいろなお知らせなどを大量コピーして一冊にまとめホッチキス止めするお仕事。
避難所にいる人には届いている情報も、親せき宅や市内アパートで仮暮らししている人には届いていないことも多く、それをSさんが集めてきて、呉妹地区で配布しようとしていた。自宅は住めない状況のところが多いが、それでも荷物を片付けたり床下乾燥の状況を確認するため、週末などには戻ってくる人が多いので。
被災地の人達は、今回の台風をものすごく心配していた。
床下の泥をやっとすべてかきだし、なかなか進まない乾燥の状況を毎日ハラハラしながら見ているのに、もしこの台風でまた床下に水が入ってしまったら。小田川が氾濫してしまったら。実際、側溝も泥でふさがってしまっているところが多く、大雨になれば通常以上にあっという間に水があふれてしまうのは確実だ。
軽いノイローゼ状態だよなという人にも出会った。
ただ幸い、この時の台風は倉敷エリアにはそれほど大きな被害は与えず過ぎ去ってくれた。
呉妹サテライトには、地域の被災者向けの物資も集められた。
暇なときにSさんの指示を受けながらそれを整理して、吊るし看板など作成。
東北の時に支援物資関連の作業はめちゃめちゃやってるので、「何がどこに入っているかは箱の全面(底以外)に記入」「掲示はなるべく上のほう」「細かく分類しすぎない」などのルールは叩き込まれている。イラストも入れておくと受ける印象がぐっと変わるもの。
物資を取りに来る人以外に診療所にやってくる人達もいたので、情報掲示コーナーも。
現場に出られないのは残念だなあと思っていたのは一日目だけで、呉妹に来てからはとても充実した日々だった。
これもSさんの指示で作成した、ボランティアニーズをヒアリングするためのちらし。
地区の被災家屋をまわっていると、ボランティアに頼んでくれたらすぐに片づけられるのにと思う家屋も結構あり、ただ住民は週末にしかやってこないところも多いので、こうしたちらしを投げ込んでおけば必要な人には伝わる。
今回何がよかったって、東北震災時にも長期でボランティア活動をしていたベテランのSさんが指揮する現場に入れたこと。
短い期間ではあったけどすごく勉強になったし、いろいろやらせてもらえた。本当にありがたい。
ちなみに、この夏は本当に暑く、現場に全く出ていなかったにも関わらず、夕方になるとTシャツは汗が乾燥した塩で真っ白なラインがたくさんできてしまうほど(注:毎日洗濯してます)。まして、ヤッケをきて現場で床下作業している人たちはどんだけ暑かったことか。
そしてなにより、夏の間中ずっと、先行き見えない憂鬱な気持ちを抱えたまま自宅の復旧作業をしていた地域の被災住民の方々の精神的・肉体的疲労がどれほどだったか。
「でもね、地区全員同じ状況でしょ。だからいいのよ。うちだけじゃないんだから」
そんな話をしている人にも出会った。
岡山県の人はとても穏やかな性格の人が多いと大阪から来た人が言っていたが、自分が交流させてもらった方々も多くが、本当に穏やかで人に気配りをする人が多かった。東京の人から見た静岡県民のような印象。言葉もすごくやわらかい。そして我慢強い。
近隣ニーズまわりの時はこの自転車で。
昼間に外に出ている時は、この橋の下でランチしていた。
ショベルカーなどがたくさん入っている広い小野川の河川敷風景を眺めながら。
被災家屋はどこも、床板を剥がし泥をだして地面を乾かしている段階の家が多かった。
ここは泥だしまではできていない状態だが、結局再建はせず、建物を壊すことが決まったのだと、庭の片付けに来ていた家主さんの娘さんから聞いた。歴史も長そうな立派な家だった。本当に残念なことだ。
活動期間は8月21日から28日までの8日間。
この後10月ももう一度、ツーリングの合間の2日間をピースボート拠点に宿泊しながら活動させてもらった。
●【番外編/10&11日目】西日本豪雨被災地の倉敷市真備町で災害ボランティア活動に参加 - <小型バイクでツーリング>四国・瀬戸内海沿岸ツーリング記
東北沿岸、茨城常総、熊本阿蘇に続き4回目だが、いつもの現場とは違う活動内容でいろいろ考えさせられたことも多かったし、勉強になったこともたくさんあった。
なお1日だけ、ピースボートを離れ、一般ボランティアとして活動した日もあったので、そのレポートは別記する。