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上尾市社会福祉協議会のボランティアバスツアーに参加!

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今夏最後になるボランティア活動は、地元埼玉県上尾市のボランティアバスツアー。
作業日数は2日間と短期間だったものの、忘れられない3日間になった。

●社会福祉法人上尾市社会福祉協議会

5月のピースボート石巻、7~8月の遠野まごころネットに続き4度目なんだけど(過去の参加レポート)、

「地元の人達と一緒に地元上尾から向かう」

ということで、今までとは違う期待感もあった。

引越して2年半経つが、知り合いはほとんどいない上尾市。
もっと上尾のことを知りたいし、もちょい上尾に根を張った生活できたらなと思っていたので、ボランティアバスツアー参加をきっかけに、いろいろ地元の話を聞いたり知り合い作れたら嬉しいなと。

そして当日が近づくにつれワクワク感も高まってきた。

だって・・・

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こんな「しおり」とか届いちゃうんだもん!
参加する人の名簿はもちろん、バスの座席表まであった。

活動場所の陸前高田市の災害状況についてまとめた資料なども。

被害のあまりの大きさに、それ眺めているだけでもモチベーション高まる。
そんな社協の手厚さ・細やかさにちょっと感動。
(参加者が快適&安全に活動できるよう、本当に細やかな準備・配慮がなされていた)


宿泊場所は日本百景の猊鼻渓

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日程はこんな感じだ。

8月23日(火)21:30 上尾市総合福祉センター集合
22:00 出発
8月24日(水)06:00 ホテル到着(着替え)
07:20 陸前高田到着─被災状況視察
08:00 陸前高田市災害ボランティアセンター(VC)到着
09:00 支援活動開始
14:00 支援活動終了→VCで活動報告
15:30 VC出発
16:30 ホテル到着→宿泊
8月25日(木)07:00 ホテル出発
08:00 VC到着
09:00 支援活動開始
14:00 支援活動終了→VCで活動報告
15:00 VC出発
16:00 ホテル立ち寄り
16:40 一関市の温泉で入浴&買い物
17:50 出発
23:30 上尾市総合福祉センター到着

参加費用はひとり7,000円。
これはたぶん、宿泊する猊鼻渓ひがしやま観光ホテルの宿泊費分だけで、バス代やその他昼食などの費用は全部、社協側で負担する形になっているんだと思う。

これまでは寝袋持参で、活動中の食料なんかも自分で全部調達しないといけなかったけど、宿泊はホテルだし、昼食のお弁当も全部手配されていて本当に楽!バスから降りると水分補給用のペットボトルまで手渡された。

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一晩バスを走らせて辿り着いた宿泊地の猊鼻渓。
今回初めて知ったんだけど、一関市からすぐのところにある、日本百景にも選ばれた場所。

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残念ながら今回乗る時間なかったけど、ホテルすぐ前のきれいな川での渓流下りが有名。
着いた日の夕方散策していたら、語りユーモアたっぷりの船頭・長野さんに声をかけてもらって、30分近く、舟の上で震災以降のいろいろな話を聞くことができた。

  • 震災直後はここも停電が続き大変だった
  • 陸前高田の人達の温泉無料招待で、3月からバスで被災地と猊鼻渓を何往復もした
  • 当初の陸前高田市は瓦礫の山で愕然とした
  • 猊鼻渓のホテルには救難・復興関係者が多数泊まり込み、布団敷きスタッフに7月末まで駆り出されていた
  • 平泉の世界遺産指定後は、猊鼻渓も観光客一気に多くなった
  • 9月には一艘の船で三味線の演奏を行い、両脇の舟に乗ってそれを聴きながら川面をいくイベントがある

などなど。


陸前高田市の被害状況~街の中心部が更地状態に

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猊鼻渓からは、山をいくつも越えて沿岸部に1時間ほどかかる。遠野と一緒だ。
青々とした山や、その谷間にあるすごく立派な構えの家も多い集落などを眺めていると、日本って本当にきれいだよなあとしみじみ思う。

それだけに、ある一線を越えた瞬間から広がる津波被害の風景が痛々しい。

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陸前高田市の中心部は、既に壊れた建物や大きな瓦礫もほぼ撤去され、まるで埋立地のような荒涼とした風景になっている。

ショッピングモールやマンション、企業に工場なども密集していた場所だが、
在りし日の姿はまったく想像することができない。

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上尾市のボランティアバスツアーでは、実際の被害の大きさを参加者が理解するため、到着日の朝、2-30分だけど市内中心地でバスを降り、周辺を少し歩いて直接建物の様子などを見ることができた。

これは陸前高田市の市役所。
三階建ての建物は、一番上まで完全に津波で破壊されていた。

その周辺の家屋は完全になくなっていて、公民館や消防署など大きな建物だけが、内部空っぽの状態で点在していた。

津波翌日のヘリから撮影した産経新聞の映像がある。

石巻市の中心部分などと違い、
建物が残っているエリアのほうが少ないほどだ。

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そのままの状態で残されている、市役所前にある公民館一階。


陸前高田市災害ボランティアセンター

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陸前高田市のボランティアセンターは、市内中心部から川沿いにかなり内陸部に入ったところの水田の中にプレハブで建てられていた。

ボランティアの大型バスが10台も入ると駐車場ぎっしりになってしまい、真ん中のバスが身動きとれなくなるほど。

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注意事項など書かれたホワイトボード。

決して広くはないボランティアセンターには人がひっきりなしに出入りし、とてもあわただしい雰囲気だったが、同時にここのスタッフの人達の精一杯のサービスも印象的だった。

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戻るとうがい薬が用意されている。
水は、道具を洗ったりするための川の水しかないが、その代わりウェットティッシュが配られた。

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建物の中では、活動から戻ってきた人のためのドリンクサービス。
麦茶や緑茶、珈琲。暖かい飲み物まで作ってくれた。

バスが駐車場をでていく時には、わざわざスタッフの人がひとり道路まででてきて、笑顔でずっと手を振って見送ってくれる。こういうのは初めてだったのでぐっときてしまった。

3月からずっと動いてきた地元社協の女性スタッフの方とも少しだけお話ができた。

「社協の方でしたか。本当にご苦労様です。ご自宅は・・・?」
「流されて今は仮設です。遠くから私達のために来て下さって、本当に感謝です」

穏やかな笑顔でそう答えられると、本当にどういう言葉を返せばいいのか全くわからなくなる。ただただ尊敬だ。


活動場所は広田半島


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今回2日間の活動場所は、陸前高田市内から車で4-50分のところにある、広田半島というところになった。

津波で半島からの道路が完全に破壊され、支援も入れず、結構長い間孤立してしまった集落だという。自分たちのことは自分たちでやると、ボランティアも7月頃までほとんど入っていなかったと、ボランティアセンターの方から説明された。震災から数か月が経過し、ボランティアセンターからの度重なる働きかけや口コミによって、少しずつ作業依頼がくるようになったと。

コミュニティが強固な土地なだけに、いい噂も悪い噂も広まりやすい。
外部の人への不信感もまだあるので、信頼を失うような言動・行動は絶対しないよう釘を刺された。


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すぐ目の前に砂浜が広がり、住宅や町工場的なものも立ち並ぶ集落だったが、高さ8メートルの防潮堤を津波は易々と越え、家はすべて流されてしまっていた。

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これは防潮堤の上から撮影した写真。
地図の右上のあたりから見た風景だ。

奥のほうに山並みが見えるが、その裾野の杉の木も葉が真っ赤に焼けてしまっていて、津波がそこまで到達したことがわかる。ボランティアのバスも何台も入って活動をしていた。

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今回個人的にも非常に貴重な体験になったのは、この作業の依頼主である79歳と80代の兄弟の方が2日間ずっと現場に一緒にいてくれて、休憩時間や昼休みのたびに、いろいろ話を聞かせてもらうことができたことだ。

上尾チーム32人のために菓子パンやドリンクなども差し入れてくれた。

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砂浜が本当にきれいで、波もなく本当にきれいな入江だったこと。
夏にはたくさんの海水浴客が集まったこと。海の家でパラソル貸出などの商売もやっていたこと、タコやイカ、ヒラメの漁のこと、この土地に最初にやってきて家をたてた時のこと。

津波後は、木材や仕事道具など拾い集めて自宅跡地に作業場を作ったこと。

時に私たちを笑わせながら、
明るく元気な笑いを見せながら、自作のトイレも自慢してくれた。

流されてしまった船の船外機などを回収して自分の土地に運び込んでも、翌朝には盗まれてしまっていた話なども。実際に現実にそんなことが起こると思っていなかったけど、「でも仕方ない、誰もがそうなる。人はそういうものだよ」と。

雪が積もるわけでもないのに土台が高くなっているのは津波対策で。

「でも家ごと持っていかれちゃったんだから意味ないよね」

そういってまた大きく笑っていた。

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タコ漁の道具も見せてくれた。
水だこやまだこがたくさん取れるのだという。

水揚げしたばかりのタコは、歯ごたえもあって美味しいのだと。

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作業は2日間とも、敷地内にたくさん残る小さな瓦礫の撤去と草むしり。
大きな瓦礫は重機で運び出した後だけど、後は人手で地道にやるしかない。

地面深くまでコンクリやガラス、木材や石が大量に入ってしまっており、ひと夏越えて雑草もぼうぼうだが、さすがに32人で作業すれば早いもので、数時間後にはむしった草の山やコンクリや瓦・石や鉄&プラスチックの山があちこちにできた。

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住居は許可なしに建てられない場所みたいで今後どうなるかもわからないようだが、まずは畑を作ってネギや大根などを育てたいという。

「来年は80歳だけどま~だまだ!」と力強く語る依頼主の方は、自宅跡地に木材とビニールシートで作った仮設の作業場に道具類たくさん集めて並べ、作業をしていた。

働いていないときっと落ち着かない性格の方なのかもしれない。
四畳半ふたつの仮設住宅も、道具類でいっぱいで寝るスペースがないよと笑っていた。

早く畑ができて、毎日の張り合いある日課が増えるといいな。

雑草がなくなり、ほんの少しすっきりした土地を眺めて顔をほころばせてくれた依頼者ご兄弟。

その表情に、微力ながらそのお手伝いをちょっとだけできたかなと、自分たちも大きな満足感と達成感をもらうことができた。

「あとちょっと、次の休憩までにここまでやっちゃいたい!」

ボランティアでは無理は絶対禁物と重々承知しているはずの私まで、つい頑張ってしまい、流れ落ちる汗で目が開けていられない程だった。今回お二人と話す機会を得て、過度に思い入れを強めてしまったせいかもしれない。

お二人とご家族の方が、少しでも元に近い生活を取り戻せ日がくることを心から願った。

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でも、もしかしたら二度と戻らないかもしれないものも。

依頼主の方が「本当にきれいな砂浜だったよ」と熱く語っていた広田海水浴場。

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地盤沈下なのか、防潮堤につながるテラスまで海面がきてしまい、
砂浜の姿はどこにもなかった。

遠浅の海で、子供でも安心して泳がせることができたそうだ。
海底清掃まだなので、海の中は恐らく瓦礫だらけなのだろう。

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お昼休みには防潮堤に登って、静かな湾を眺めながらお弁当を食べる人達も。
あの日、沖合からやってきた巨大津波は、高さ8メートルもの防潮堤を易々と乗り越え、激しい勢いで家をなぎ倒し、集落の奥まで到達した。

交通も遮断され支援も遅れたこの地域で、住民は協力しあって、半壊全壊の建物から食糧を運びだし皆で分配した。女性が食料を運びだし、男性は瓦礫の下からけが人や遺体を運びだしたと、ボランティアセンターの人が話していた。その間、あまりに凄惨な風景を子供達に見せないよう、一軒の家に子供を集め、そこを学校替りにしたとも。

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「来てこうやって歩いてみないと実感としてわからないこと多いよね」

他の参加者と、防潮堤近くを歩きながらしみじみ語った。

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お盆明けで風も一気に涼しくなってきた被災地。
ひまわりが元気に咲き誇っていた。

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これまで参加したボランティア活動の中では一番期間短かったけど、
初めて被災地入りした時と同じくらい、いろいろ考えさせられた。

あと地元・上尾の人達と一緒に三日間を過ごせたのもとてもよかった。

私の知らないいろいろな話を聞かせてもらい、また上尾社協や市役所の方の話も伺うことができ、定期的にボランティアバスツアーをだしている上尾市が本当に復興支援に本腰を入れているということも知った。

●上尾市Webサイト─岩手県陸前高田市への支援物資の提供と被災地調査(陸前高田市、宮城県気仙沼市)

「4月には市長自ら支援物資を運んでいるんですよ」
「そんな時期に被災地入りしてたんですか。そりゃ使命感も強まりますよね」

自然と地元愛も強まる。

「地元がこういうバスツアー定期的にだしてくれて嬉しいですよね」
「ええ、誇りにすら感じます」

来週には、ボランティアバスツアーで一緒だった人8人で、打ち上げ兼ねて地元ビアガーデンにも行く約束になっている。これ機にもっと地元に関わっていけたらいいなと思うし、いつかまたこのメンバーで陸前高田に行きたい。

最後に・・・

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陸前高田の一本松。

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