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電車に乗ったまま船で海を渡る~「鉄道連絡船」初体験

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海南島と中国本土の間は鉄道でつながっている。
最南端のリゾート三亜で18:38にT202という列車に乗り込むと、翌々日の朝6:42に北京西駅に到着する。一番遠くまでいく列車は黒竜江省のハルビンまで3日間かけて中国を縦断するそう。

ただ海南島は島なので、当然本土との間には海がある。瓊州海峡だ。ここはまだトンネルはない。

ではどうするのかというと、電車を分割してレール付きの船に乗せ対岸まで渡り、またそこで連結して走り出す車両航走。日本にはもうない鉄道連絡船だ。

●Wikipedia「粤海線」

これは面白い!乗りたい!

残念ながら来るときは段ボール一個の荷物もあったので日本から直接海口まで飛行機できてしまったが、島を出る時は必ずこの鉄道を使おうと決めた。

「いや夜発車だから暗くて何も見えないよ」
「うーん、別に普通かなあ」
「分割と連結だけで1時間近くかかって大変・・・」
「車窓風景はずっと隣の電車。飽きます」

乗ったことあるという海南大学の学生や日本人にも聞いてみたが、慣れてしまっているのかワクワクする話は全く聞けなかった。

忘れちゃったけど、トイレがその間使えないだか、使えるトイレが限られるだかという不便話もあった。そして勝手に電車の窓から海が見えるのかと期待してしまっていたがそんなことはなく、船倉に閉じ込められ外は全く見えず、電車から降りることもできないという。

そして1月1日18時50分初の四川省・成都行列車に乗り込んだ。

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二等寝台は、こんな感じで三段ベッドがずらり並んでいる。
私の目的地広西チワン族自治区の柳州に到着するのは翌朝7時頃だ。

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海口駅をでてすぐ、電車は徐行運転になり、ものすごい軋み音を立てながら前進したり後進したりを繰り返し始めた。さっそく分割作業が始まっているのだろうか。暗くて外が全く見えないのでよくわからない。

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発車から20分もすると、隣に別の車両が並走するようになった。全部で確か16~7両編成だったと思う。それを三分割くらいにしているのだろうか。もっと細かいのだろうか。

電車内を歩いて長さ確認しようかとも思ったが、荷物ベッドに置いたまま長時間離れるのも不安だし、マラソン疲れもあったのでそれは断念。

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ずっと真っ暗な空き地のような風景だったのが変化した。

船に電車を積み込む施設なのだろうか。
電車の整備工場に入ってゆくような感じだ。

これでこのまままっすぐ船かと思ったらそうではなく、この後もさらに前進・後退を繰り返し、30分くらい大きな音を立てつづけていた。

「暗くてよくわからない」

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は確かにそうで、こことか船の上な気もするし、その手前かもしれないしということで、窓にべったり張り付いてみていたものの、分割作業の全容はわからないまま。ガタン!という大きな音や振動、車窓風景の変化にいちいち反応して興奮していたので何気に疲れた。

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気付けば船倉。
私は15両目だったので一番端らしく、脇には幅1メートルもない通路があった。もちろん降りることはできず、作業員用かつ何か事故が起きた時の避難用だろう。

その後は打って変わって静かに。
(電車の中は大声でおしゃべりする人達で超賑やかだけど)

これだけの電車を積み込んで海を渡る船は、当然鮒揺れなどもなく、いつ動き出したのかもまったくわからなかった。

船で移動している時間は賞味1時間ほどだろうか。

トンネルの中で電車が停まっているような感じで、狭所恐怖症の人にはちょっとつらい時間だと思う。私はマラソン大会と退寮にともなうもろもろ作業で疲れ切っていたので狭いベッドですぐ眠りに落ちてしまったが。

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いきなり巨大な音と振動で目覚めた。
車両がゆっくり動きだし、再び始まる激しい軋み音と何かがぶつかる音。

連結作業の開始だ。
こちらもかなり時間かかった。

その間、並走する車両の中が見えるのが結構面白い。寝台ではない椅子席の客は、カップ麺にお湯を入れて晩御飯の準備をしていたり、男性数人でトランプしていたり。

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食堂車は営業前なのか単に客がいないのか、従業員がうだうだしている空間になっていた。

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その後もあまり熟睡はできないまま柳州に到着。
ここからの電車のチケットは買えなかったので、バスに乗り換え桂林を目指した。

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人生初の鉄道連絡船体験は以上。
列車分割・海峡越え・連結という一連の作業は夜間だったためよくわからないうちに終わってしまい、レールの軋み音と振動だけが鮮やかに記憶に残っているが、ずっと乗ってみたい列車だったので気分スッキリ。

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