大火災で1300年の旧市街が消滅~シャングリラ独克宗古城
シャングリラの独克宗古城は、1300年の歴史を持つ古い街。麗江や大理の古城同様、石畳の路地に古い建築物も多く残り、海外からも多くの観光客を集めていた。
↑Googleで画像検索すると、火災時の写真も多く混じっているが、それ以前のものもたくさん残っている。高台から撮った写真では、瓦屋根がびっしり並ぶ旧市街の様子がわかる。
しかし私はその風景の中を歩くことはでできなかった。
シャングリラに到着する5日前、大規模な火災で街全体が焼失してしまったからだ。
瓦屋根がすべてなくなり、建物の白壁が残るだけの旧市街。
骨格が木材なので、焼けて瓦屋根もすべて落ちてしまった。
火災が発生したのは古城内の旅館、時間は深夜午前1時27分。
30分後に消防隊が駆けつけ消火活動を開始したものの、悪条件が重なった。
古城は建物に多くの木が使われており、しかも狭いエリアに密集している。乾燥しており風も強く、ガス管の爆発などもあり火はまたたくまに燃え広がったという。
中国のネット上でも批判の声が高まっているが、消火活動にも問題があったようだ。
古城内は道も狭く消防車は入ってくることができない。
夜は氷点下になるため、消火用の水槽には水が張っていなかったそう。
水圧も足りず、ホースを伸ばしての消火活動の途中で、水が出なくなったという証言もある。初期消火に失敗した要因が他にもいくつか指摘されている。
私が訪れた時、古城内には重機が入り、焼け跡の建物を崩していた。
そしてトラックがひっきりなしに出入りし、瓦礫を運び出していた。このペースならきっと、かなり早い段階ですべての撤去が終わるだろう。
麗江や大理の古城内で見た、風情ある建物群が一夜にしてこんな廃墟に変わってしまったのかと思うと、本当に残念でならない。旅館やカフェバーなど、味わいのある空間もたくさんあっただろう。思い出いっぱいの建物が無残な姿になり、嘆き悲しんでいるオーナーや常連客も多いはずだ。
ちなみに高台の南側の一角は延焼を免れ今も残っている。
私が泊まった月光客桟もここにある。
焼けてしまったエリアと延焼を免れたエリアの境目は一体どうなっているんだろう?そう思って西側を見てみると・・・
ここだけ数十メートルに渡って更地になっていた。
消火は不可能という判断が下された後、軍隊がここを爆破して延焼防止のための緩衝地帯を作ったのだという。
火が迫る中、ここから短時間で木材など可燃物をすべて運び出す作業が行われたのだろう。すごいことだ。
爆破エリアには、雲南省の重要文化財に指定されている建物もあったという。関係者の悲痛なコメントもニュースに掲載されていた。
これまで中国の古城などを歩きながら、こうした古い市街地が残っている中国はいいなあと何度も思った。北京でも胡同など細い路地裏がたくさんある。
一方日本は、例えば東京であれば、台東区や足立区、墨田区などの住宅密集地を、特に震災時の大火災を防ぐという観点から区画整理し、消防車が入れない細い路地などもつぶしてきた。2011年以降もその取組が強化されている。
昔ながらの下町風景がなくなるのは寂しいけど、こういう風景を見ると、やはり「街の安全」確保が何よりも優先されなくてはいけないんだなとも思う。
たった一夜でシャングリラの歴史ある街並みが消えたように、
今存在する風景はすべて、いつなくなってもおかしくはない。
訪れた場所は、
しっかり目に焼き付けておきたい。