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We[love]blog〜ブログが好き(2)

写真この「ブログが好き」テーマは深掘りすると面白そうなので連載していこうと思う。

わださんってブログを始めてから変わった気がする。

それまでは表に出ない存在だったし(っていうかブログがない時代だったからね)、メールやオフでの交流でもわださんを知ろうとするには限界があったし。

今って飛魚のように生き生きしてるよね。

藍玉さんのコメント。そう言われると、そうかもしれない。

表に出るという発想がなかった。
裏っ側でもごもご動いているというポジションが割と向いていると思っていた。交流とか苦手だしね。あと半端に目立てば、叩かれる。間違いなく「打たれ弱い」んで・・・自分(だから、あんまいじめないでやってくださいませ)。

それと自分のことを話すのは苦手だった。
ブログでも、最初はうどんのことや、JRのだちょうのことや、そういった日常生活の雑多なことを書いていた。いつの間にか、内面を明かすような、こっ恥ずかしい記事も時々書くようになっていった。書くネタがなくなったから? そうじゃないんだろうな。多分、どっかで書きたいと思っていたことなんだと思う。

ブログはそれが書ける場だった。

あと、恋ヶ窪さんのブログ「ブログを止められない」に書かれていることにいたく反応してしまうんだけど、人にはいろんな顔がある。それは全ての人がそう。

私にはブログ以外の私が普段表現しない部分がたくさん在って、それらが私の中で渦を巻いていた。そのためにブログが必要だったのだと改めて気がつきはじめた。

自信満々な笑みを浮かべているんだけど、斜め右下から見ると、実はプライドぼろぼろになった顔がちらりと見えたり、誰か特定の人に対する恐怖がふとよぎったりする。

私は、基本的には自信家で余裕があって、割とのんびり楽しく過ごしている。・・・顔をしている(本人はそのつもり。まあ・・・mixiの紹介文を読むと「ものすごい大胆さと臆病さがブレンドされていてとても不思議」なんてことも書かれているから、自分で思っているほどは安定した顔になっていないのだろうけど)。

これはそうありたい自分って奴で、残念ながら、まだ現実の自分との間にはギャップもある。でもまあ、それでいい。外向けに演じている自分の姿は、いつか定着してくるはずだから。不安と苛立ち、落伍感に満ちた姿を表にだしても、悪循環しか起こらない。

そんなに自分が確立している人間でもないので、会う人とシーンによって、カメレオン七変化。って書くほどは変化してない中途半端さがダサいのだが、まあいろいろな扉はあって、相手によって、開く扉も招き入れる部屋も違っている。

それも、それでいいと思う。

ただ・・・。
やっぱり、たまに疲れることはある。

よく自分を見失うという言葉が使われるが、こんないい年した人間でも、時々そんな気持ちに襲われる。等身大の自分は、自分しか知らない。ぼやく家族もいない。ぼやくのも、ストレスを何かにぶつけるのも、結構高等テクニックなんだと思う。私はあんまり上手ではない。割と溜め込む。酒癖がよくないので、酔っ払うとネガティブな自分が飛び出すこともある。それは決して自分にとっても他人にとっても、後味のいいものではない。

色々あった自分のさまざまな面が少しずつまとまりかけている。 これは一種のブログの癒し効果なのかもしれない。 日々感じるままの自分の触れ幅が少しづつ小さくなってきた。

同感。
それにしても、恋ヶ窪さんは本当にうまいことをいうなあ。癒し効果かぁ。

たとえ雑多な内容でも、自分にとってはこの「WADA-blog」はとても大切な場所。アクセス数を増やそうとは思わない。たまにアフィリエイトもするけど、ここで稼ごうという気持ちはない。

自分が、時々自分を振り返ったり、バランスをとったり、目標を実現するために、思いや出来事を文章にしてゆく場所。

かな?

>続く

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