復興ボランティアチーム・上尾(ReVA)ボラバス第一弾で雪の陸前高田に!(2)
前の記事で「夜はトン汁」と書いたが、その材料を買ったのは陸前高田市内中心部から高田街道ちょっと内陸に入ったところにある、仮設商店がいくつも建ち並ぶ一角の大きなスーパー。
プレハブの建物に、auショップだったり公文式だったり、いろいろな店舗があり、駐車場にはたくさんの車が停まっていた。
中心部はかなり賑やかな町だったのにそれが全部津波で流され、でも人口はとても多い市で、こうしたお店が営業再開するまでは本当に不便だったんだろうなあと改めて思う。もちろんまだまだごく一部だけなんだろうけど。
スーパー内はこんな感じ。
何でも買える!
そして住田町基地に戻ってきて、
夕食の準備。
みなめいめいお弁当やお惣菜を買ったんだけど、豚汁も作ろうということになっていた。
住田町基地は元小学校で、立派な調理室もある。
調理道具や食器もばっちりそろっていて、調理台が「小学生の背丈前提の作り」という一点だけのぞけば、とっても快適な炊事場だ。
個人で長期滞在して支援活動している人も多く、炊飯器でご飯をたいている人もいた。お米や野菜も、誰かの寄付なのだろうか。自由に使ってくださいという形になっていた。
そうしてできあがった豚汁。
(自分、あまりというか全然役に立たなくてごめんなさい・・・)
最後に生姜のすりおろしもかなりたっぷり目に入れてて、本当に美味しかった!!!
お弁当だけじゃなく、こういう汁物一品あるだけで全然違う。
そんなことも、昨年の炊き出し活動で初めて知ったことのひとつだ。
あと大量に作ると意外とそれだけで美味しくなるというのも。
食事して、そのまま数人はビール&日本酒飲みながら夜トークタイムに。ReVAの今後の話とかしていたら、住田町基地の代表をされている、住田町社協の方が加わってくれた。
住田町基地の成り立ちについて聞くと、3月11日直後からのことをいろいろお話し下さった。
陸前高田市の社協でも多くの職員が流されてしまい、3日後に住田町社協に歩いて辿り着いたのは、正規の職員ではなく嘱託の若い3人。「高田を助けてほしい」
津波から車椅子の人を救助しようとして自身が犠牲になった職員の話など。
途中で聞いていた全員が次々もらい泣き。
無料で宿泊できるボランティア拠点としてこの場所を作り、全国から大勢のボランティアを受け入れる陸前高田支援拠点となった後も、車がたくさんやってきたり夜うるさかったりなどで近隣住民との調整にも苦労もされたそうだが、ボランティアで来ている人たちの思いや活動内容なども徐々に理解されるようになり、いい関係もできていった話など。
●住田町災害ボランティアセンター「住田町基地」
●施設紹介|住田町災害ボランティアセンター「住田町基地」
住田町基地は昨年夏からずっと来てみたいと思いつつ、住田町→陸前高田の足がないとどうしようもないので諦めていたが、今回来ることができ、こうしてお話を伺うこともでき、本当によかったと思う。
この日は自分達の20名以外にもたくさんの個人・グループが宿泊していて、なかなか楽しく盛り上がった雰囲気だった。大部屋も暖房ががんがんで、むしろ暑いほど。
女性はこの部屋。
マットレスも敷布団も掛布団も毛布も大量にあり、寝る時にはこの板の間の床の上にござを敷いて、さらにウレタンマットを敷いて、その上に布団なので、全然冷えないしお部屋もぬくぬく。
つか、私は持参した寝袋を使ったんだけど、途中でその上にかけていた毛布をはいで、寝袋のファスナーも開放したほど。
そりゃそうだ。
翌朝起きて温度計見たら、普通に22度超えていた。
暑いわけだ。
でも外見たらびっくり。
初日の倍以上、雪が積もっている。
停まっていた車も見事に雪に埋もれてしまっていた。
住田町は陸前高田から山を越えてくる内陸側なのでそれなりに雪降るし積もるそうなんだけど、陸前高田どうだろう?
前日のように雪まったくない中での作業ができるんだろうか?
残念ながら、陸前高田ボランティアセンターも、
うってかわっての雪景色だった。
早くについたので、仮設トイレの水補給や雪はらいをほんのちょっとだけお手伝いしながらミーティング待ち。
前日は大型バスもたくさん来ていたが、この日は日曜日でボランティアの数も少なかった。
上尾市からもってきた寄せ書き、さっそく飾ってくれていた。上尾のゆるキャラ「アッピーくん」がにっこり!
そしてミーティングでは、雪のため活動が少々変わることや時間短縮になることなどが発表された。自分たちはもともとは前日の堤防の瓦礫撤去作業の続き予定だったのだが、思い出の品を仕訳・整理する作業にあてられた。
場所は広田半島の山の上にある大きなオートキャンプ場のモビリア。今はこの敷地内に多くの仮設住宅が建設されていて、広田半島で被災した主に漁業に携わってきた人などが多く住んでいると聞いたことがある(上の写真は仮設住宅ではなく、もともとモビリアにあったペンション棟)。
広田半島は、夏にも瓦礫撤去作業できていて、その土地の所有者の方おふたりといろいろお話をさせてもらった思い出の場所だ。
敷地内が広く、活動場所の建物がわからず雪の中迷走してしまったが、おかげで牡蠣の養殖いかだが多数浮かぶ、広田湾の素晴らしい風景を見れたので大満足。
作業は数班にわかれて行われた。
「思い出の品」といってもピンとこない方が多いかと思うが、瓦礫撤去作業をしていると、泥の中から瓦礫と一緒にいろいろなものがでてくる。
手紙の束だったり子供の通信簿だったり、免許証だったり。そういうものはカゴなどに入れて別扱いにし、ボランティアセンター等に届けられる。
「名前わかっているなら持ち主に返せばいい話なのでは?」
と疑問に思われる方も多いだろうけど、とにかく広大な街の中心部が建物ごと根こそぎ流されてしまっているので、半端ない量。今でこそ全員仮設住宅に入って、誰がどこにいるのかもわかるようになっているが、昨年はそういう状況でもなかったと思う。また生活に必要な物資を届けたりする人員すら足りていなかった。
こうして大量に集まったものも、秋までなかなか整理・返却などの作業に本格的に着手できていなかったと、ここの責任者を務める女性の方が話をされていた。
仕訳をしたり。
洗浄されたものをこうして干したり。
なかなか根気のいる作業で、ずっとこの作業を担当している方は本当に大変だなあと思った。全体の量がどのくらいあるのかすらわからないが、気が遠くなるほど膨大なんだろうなということだけはわかる。
私はパソコン入力作業を担当した。
洗浄・仕訳され家族ごとに束になった年賀状があり、それを見ながら、名前とふりがな、住所を表計算ソフトで作ったデータベースに打ち込んでいく仕事だ。
データ一件(一人分)ずつ「Z11298-1」など連番をふり、家族がいる場合は「Z11298-2」「Z11298-3」と枝番展開する。
そしてパソコンのデータベース上の識別番号と同じ数字を丸シールに書き込み、年賀状の束の一番上に張り付け、カゴに並べてゆく。
詳しくは聞かなかったけど、多分こうすることで、思い出の品を地元の人に返却するため定期的に開催する会では、名前で検索をすれば、その人のものがあるかどうかもわかるし、あれば番号で探してすぐに見つけることができるようになっているのだろう。
マンパワーが足りない中ではそこまでは無理だろうと思うけど、このデータベースさえできれば、仮設住宅の名簿などとマッチさせて、届けてしまうことも可能なはず。
今年被災地の方は、年賀状を出していない人が多い。
それは喪中だからといった理由もあるが、家を流されてしまった人達は、そもそも住所録も過去年賀状も手元に何もなく、他の人と連絡とりようもなくなっている現状がある。
これらの過去年賀状が手元に戻れば、
今年の年末には、近況報告兼ねて年賀状をだすこともできるだろう。
新しい仮設住宅の住所を伝えられれば、
エリア外で心配していた人からの返信もきっと届くはず。
あたらしい絆ができるかもしれない。
そう考えるととても大切な作業なんだけど、でもマンパワーは全然足りないんだよね。自分たちもわずか半日の作業だけだから、申し訳ないほどちょっとしか進まなかったし。
都市部でもデータ入力などはできると思うので、どこか団体でこうした作業を責任もって引き受けて、分業体制を確立してくれたらいいなあとも思った。
そして雪の中撤収。
あまり体を動かさない作業と言うのは、意外に冷える。
手足もかじかんでしまった。
ちょっと珍しい戸建て仮設住宅。
そしてバス車中でお昼をいただき、
雪で作業時間短縮になったので、少し早めに陸前高田を出発した。
バスの外には、街だった場所に瓦礫の山。
他の自治体でこれらをちょっとずつ引き受けて焼却していかないと、街の再生はすすまない。陸前高田も宮古も福島の原発からは遠く、正直、関東のゴミと比べても特別高い放射性物質の数値がでるわけではない。
東京では引き受け・処分が始まったが、神奈川では今非常にもめている。
数値的に安全を確認しても反対意見が強い。
「調査した数値そのものが信じられない」
という不信感はわからないでもないけど、反対派の人にもこの風景を、一度見に来てもらいたいなと思う。この町があげている悲鳴を聞いてほしい。
早く全国でこれらの負担を少しずつシェアして、
こんな悲しい風景をここから消してほしい。
その先にある街再建へ向けて。
そしてバスは、途中温泉によって一路埼玉・上尾へ。
到着少し前から、20名の参加者全員が、一言ずつ感想などを述べていった。
一緒に活動した人達の中には、何度も被災地に足を運んでいる人もいれば、今回が初めてという方もいた。
まもなく一年がたとうとしている中、しかも極寒のこの時期に、
初めて被災地に来ようとする人の思いは本物だと思った。自分ならきっと「行くタイミング逸したな」と流しちゃっていたと思う。もう先細りしていくだけかと思ってもいたので、そういう人の存在を知ってとても心強い。
同じ現場で同じ作業をしていても、人によって見るもの・感じたことは違う。共感することもあり、新しい視点を新鮮に感じることもある。「微力ながら役立ちたい」と意気込む20代と、「これまで生きてきた社会に何か貢献を」と語る60代の感性は共通でもあり異なってもいる。
「格好いい大人に会えた」
それもよかったと語る若い女の子。
実際ボランティアの現場では、格好いい生き方をしている年上の人達にたくさん会え、「将来こんな人になりたいな」と、もう結構いい年の自分ですら思うことが多々ある。若い人にとってはきっとなおさらだろう。
世代を超え、いろいろな人の体験や思いをこうしてシェアできるのも、
個人でなく団体で参加する大きなメリットだ。
もちろん、個人でも住田町基地や遠野まごころネットなどで夜、いろいろ話をしながらできるけどね。ボラバスの一体感はまたとてもいいなと。
そんな充実した週末。
またこのチーム上尾で陸前高田に行きたいです。
主催のReVA中核スタッフの皆様、後方支援してくださった上尾市社協の方々、本当にありがとうございました。