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父69歳・復興支援ボランティアに初参加!

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GW明けに石巻でボランティア参加した際、年配の人も結構来て活躍してたよという話をしたら、「行きたい」というので昨年6月、一緒に遠野まごころネットに行く計画を立てていた。

ところが出発予定の前日、地震で瓦落ちた実家屋根のブルーシートをかけなおそうとして、屋根から庭に落ちてしまうという事故が発生。命は無事だったものの、上半身から腕にかけて骨何十か所もボキボキ折れてしまうという大惨事になってしまった。

それから8カ月。

まだ痛みはあるようなんだけど作業はできるということで、3月9日~15日までバス泊2日・中5日で一緒に遠野まごころネット拠点に岩手県でボランティア活動に参加してきた。

3月09日(金)22:20上野発の深夜高速バスに乗車
3月10日(土)7:00遠野到着
大槌町赤浜海岸での宅地清掃
3月11日(日)大槌町赤浜海岸のお寺参道清掃・慰霊祭参加
夜河原でキャンドルナイト
3月12日(月)遠野まごころネット内のぬかるみ解消作業(整地・砂利入れ・排水溝作り)
3月13日(火)一日作業お休みして遠野観光(博物館・ふるさと村など)
3月14日(水)釜石・箱崎地区での宅地清掃
21:59遠野発の深夜高速バスに乗車
3月15日(木)6:00上野到着

父は69歳、今年5月には70歳になる。
ただ(昨年の大骨折を除けば)病気もなく、体は至って健康。

被災地でのボランティア活動というと、ハードな肉体労働を想像する人もいると思うのだが、腰痛持ちの40代女性の私でも大丈夫なので、そんなに大変ではない。人それぞれ、自分の体力や得意分野にあわせて活動できる。被災図書館の本の整理をしている人もいれば、仮設住宅への物資配布などしている人も。

作業時間も、瓦礫撤去などだと午前2時間・午後2時間半など比較的短く、休憩もかなり頻繁に入る。怪我したり体調壊したりという人がでないよう、安全第一・無理は絶対にするな、ちょっとでも疲れ感じたらいつでも自由に休憩とれという方針がくどいほど繰り返され徹底されている。

もちろんパワー余ってる若い男性は、がんがん働いちゃうけどね。

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宅地清掃の現場はこんな感じ(左端の白いキャップの男性が父)。

木材やトタン、レンガ、あと台所用品や布や雑誌などが散乱しているので、それを分別して集めてカゴに入れながら、軽トラで集積所に運ぶという作業。

スコップなど使って地面掘り起こす作業もあるけど、大半は「大きなゴミ拾い」という感じだ。

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女性ボランティアもたくさん。春休みで大学生も多いことあり、半分近くは女性だったかな。子育て世代の30代は男女ともに少な目で、20代もしくは5~60代あたりが一番多いように思う。

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父も真面目に作業。

自分とか、毎回やってるのでどこか感覚麻痺しちゃってるところあり、これじゃ時間かかるよな~とか思っても隅っこから手作業で拾い集めちゃうところがあったんだけど、初めて参加する父はやはり「こんなやり方じゃ時間かかりすぎるだろ」と非効率に感じること多かったようで、気付くとどこかから道具もってきて、サクサク作業を進めていた。

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大勢で一緒に作業をすれば、「終わりが見えない」と思っていた現場もこのとおり土が見えるように。

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でもここは、一年前までは全然違う風景だった。

タイル敷き詰めた玄関があり、キッチンがあり、もしかしたら子供部屋とかもあった一軒のおうち。こんな天気がいい日は、きっと洗濯ものやお布団も干していただろう。大きな鍋がいくつも掘り出された。昨年の年末年始には、親戚も大勢集まってみなで盛り上がっていた家なのかもしれない。漬物が入った瓶は蓋もしっかりしていて、開けたら食べられそうだった。

3月11日の津波直前までどんな生活だったのか。皆無事だったのか。今は仮設住宅でどんな日々を送っているんだろうと考えてしまう。

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これは被災地ではなく遠野まごころネット敷地内の写真。
毎週月曜は定休日で、ボランティア作業も一部除いて休止。

・・・なんだけど、敷地内の雪解け水でのぬかるみが酷いということで、その解消のための施策をボランティアのひとりが提案し、志願者10数人で行うことになった。父と私も参加することに。

まずは凍りついた雪を全部除去。

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そしてそこに砂利を敷き詰める。

こうした作業に熟練した人が指揮をとってくれたので、水はけのために先に地面を斜めに整地しておくとか、軽トラで奥から順々に必要な量の砂利を落としていくとか、両脇に水路を作るとか、いろいろ勉強になる。

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そうして敷き詰めた砂利を、タッピングするような機械使って定着させたり・・・

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脇に排水溝なんかも作って・・・

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作業完了!

一輪車や道具は、雪使ってきれいにして干す。

ぬかるみでドロドロだった遠野まごころネット事務局前の一帯は、とっても歩きやすくなった。こんな作業も大切な活動だし、やはり目に見えて残るというのは達成感もあるね。

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夕方からは一緒に作業した人達と、車で送迎してもらって山の上にある「水光園」という大きな温泉施設でさっぱり。そのまま遠野名物のジンギスカンを食べに行った。

「せっかくなので別れて座ろう」

と私たちは別々のテーブルについたんだけど、父は他のボランティア仲間の人といろいろ話をして楽しい時間を過ごしたみたい。私も鹿児島で消防士さんやってる人や台北在住の日本人女性の方などと、ジンギスカンほおばりながらいろいろ話をさせてもらった。

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今回、宿はとらず全日程、遠野まごころネット内の宿泊棟に泊まった。男性・女性別れた雑魚寝スタイルで、着いた日とその翌日くらいまでは、3月11日ということもあり非常に混みあっていた。

グループで来てる大学生も多かったので、それほど自分から積極的に話しかけるタイプではない父が男性宿泊棟で浮いちゃったりしないかなあとちょっと心配だったんだけど、大半は1人で来ている人だったようで、寝床確保したスペースの近くの人から話しかけられ、自己紹介とか現場作業のこととか、毎晩いろいろ話をしていたみたい。

60~70代の男性はひとりで来ている人がほとんどで、何日も、時に数か月間も滞在してボランティア活動している人が結構いるようだった。女性も50代・60代たくさんいる。たぶん70代だろうなという方もいた。

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せっかくなので、一日は作業休みにして遠野観光。
市立博物館や遠野ふるさと村など。

龍馬伝の撮影場所にもなった遠野ふるさと村はかなり見応えもあって面白かった。

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茅葺の古い家がたくさん敷地内に保存されていて、家の中に入ると土間のかまどには火がくべられていた。

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そして母屋の一角には必ず馬小屋。

長野出身の父の母親の実家でも、母屋の中に馬小屋や養蚕所があったそう。そんな話も聞きながら、広い敷地内を写真撮りながら散策した。

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そしてバスを待つ間、敷地内のレストランで昼食&どぶろく。
岩手県遠野市は、どぶろく特区

かなりアルコール強く感じられたが、お米の味もしっかりしてとても美味しかった。

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今回はじめて被災地を訪れた父は、現場はもちろん、現場に行く途中のバス車窓からの風景も真剣に見ていた。釜石市内の中心部でもまだ、一階部分が壊れたままの建物もたくさんあり、建物丸ごと解体中の現場も至る所にあった。遺体捜索時のペンキ目印が残る壁もたくさん。巨大な山となった瓦礫集積場も胸がつまる。

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もちろん心痛む風景だけではない。
箱崎半島の付け根あたりの漁港では、新しい船の進水式が行われていた。バスの中から「おめでとうございます!」とボランティア達が手を振ると、船の周りに集まっていた人も笑顔で振りかえしてくれた。

「実際に来てみてみるのは違うな」

一年たった被災地風景を見て、父もいろいろ感じること多かったようだ。
そして一緒にボランテァイ参加できたことを喜んでくれていた。帰りには、また私が被災地ボランティアに行く機会があれば一緒に行きたいと言ってくれた。

もう20年以上離れて暮らしていて、それほど話す機会があるわけではない父とこうして一緒に来ることができ、私自身も本当によかったと思う。

「行動するのに遅いということはない」

遠野まごころネットの事務局の方が言っていた話。
もう一年が過ぎてしまったので、ボランティアニーズはなくなったと思われがちだし、関心もきっとかなり低くなっていると思う。でもまだまだマンパワーが必要な作業って残っているし、何より被災地を一度直接見ておくことには意味があると思う。

女性もたくさん活躍しているし、シニア層は大学生と並んでむしろ中心戦力。初めての人でも戸惑うのは最初の一日だけで、基本、面倒見いい人だらけのボランティア現場なので、聞けばみな親切にいろいろ教えてくれるし、ひとり参加でもさほど孤独になることはなく、他のひとり参加の人達と楽しく交流できる。

父も、若い女性に「お父さん若いですよ~!もう70歳なんて全然見えない!!!」とか言われ喜んでいたっけ。「え、父娘なんですか!?てっきりご夫婦かと・・・」と言われた私は少し凹んだけどw

行きたいと思いつつ躊躇して一年経ってしまったという方も多いと思うけど、もしまだボランティア活動してみたいという気持ちがあれば、せっかくなので是非。

●遠野まごころネット公式サイト「ボランティアに行く!」

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