福島県ホープツーリズム~浜通りの今をめぐる(前編)
ドキュメンタリー映画「1/10 Fukushimaをきいてみる」シリーズの古波津監督と、映画に聞き手役として登場する女優の佐藤みゆきさんが同行して、福島県の太平洋側の「浜通り」エリアをめぐるバスツアーに参加してきました。
これは福島県観光物産交流協会が主催する、福島県ホープツーリズムのモニターツアー。古波津監督のメーリングリストに登録している「1/10 Fukushimaをきいてみる」ファンの人が大半を占めていました。
福島県の浜通りは、3.11の大震災で津波+原発事故という二重の被害で復興も住民帰還も進まず、今も処理水の海洋放出などで揺れている地域。
自分も震災があった年から3年くらいは、除染ボランティアなどで何度か通ったものの、ここ数年はたまに旅行途中に通過したり、いわきに行った時に少し足を伸ばして震災関連の施設に立ち寄るくらいでした。
「今どうなっているのか」
それを自分の目で確認できたらと思って参加しました。
東京駅からいわき駅までは、特急ひたちで。
いわきでバスに乗車します。
ホープツーリズムとは、震災・原発事故の被災地域を実際に訪れ、その復興に向けての歩みなどを自分の目で見て体験することで学びにつなげようという福島県が提唱・推進する旅の形。2016年から始まっており、主に学校や企業の研修などで導入されているそうですが、今回のモニターツアーは、それを一般の人にも展開していこうということで設定されたそうです。
地震・津波、原子力災害という世界で類を見ない複合災害を経験した福島の「ありのままの姿(光と影)」と、様々な分野で「復興に向け果敢にチャレンジする人々との対話」を通したインプット。震災・原発事故を「福島だけのローカルな問題(他人事)」と限定化せずに、教訓等を「持続可能な社会・地域づくりの実現、日常生活、自分自身の行動変容等」の"これからの未来"に視野を広げ、自分事としてどう活かすのか探究・創造するアウトプット。この一連のプログラムにより、アクティブラーニングの手法を用いた「主体的・対話的で深い学び」を実現します。福島を学ぶことで感じる希望は、参加者一人ひとりに、これからの成長につながる「学びの種」をもたらし、「明日の学びに向かう原動力」を育みます。
ツアー冒頭の説明でもあったし、またツアー中のバス車内での解説や、ツアー自体の構成からも強く感じたことだけど、
「見て、聞いて、考える」
ということを本当に重要視した企画。
決して「現実はこうです、正しいのはこれです」といった決めつけや押し付けはせず、ニュートラルなポジションで参加者が自分自身で考えられるきっかけを提供しようとしている。
「考え続けること(探究心・自分事化)」が重要
そしてその「考える」をより深めるため、地域の人との対話の機会もつくり、参加者同士で感じたことや意見を述べ合う場も作り、一方向だけに思考が流されてしまわないようにいろいろな工夫がされているなと感じました。
ここからは時系列でツアー訪問先などを紹介していきます。
いわき駅からバスで北上し、まず訪れたのが双葉郡楢葉町の「天神岬スポーツ公園」。ここの「展望の宿天神」でランチです。この後さらにステーキとデザートもきました。お椀に入っているのが、奈良波長の名物「マミーすいとん」。初めて食べました。
天神岬スポーツ公園の中心は、だだっぴろいキャンプ場。
オートキャンプ場もあり、フリーサイトには割と大きめで分厚い防寒素材のテントが数張、設営されていました。そりゃ温暖な太平洋側とはいえ、真冬の福島でキャンプするツワモノだもんな。
キャンプ場からは、南の方に広野火力が見えました。その風景を見て急に思い出したのです。
「あ・・・、ここは実はバイクで来たことがあった!」
それは2014年9月のこと。
国道6号が通行再開した9月15日の直後でした。
●9/15に全線開通となった国道6号、バイクで行けるのはどこまで?
●南相馬からいわきへ!原発事故にともなう立入制限区域をぐるっと迂回して山道を走る
自分が立っているのが、今の天神岬スポーツ公園の南端あたりで、川向うは除染作業で集められたフレコンバッグの仮置き場になっていました。第一原子力発電所からもそれほど遠くないエリアだったので、このあたりはずっと無人地帯になってしまうのかなあと当時は思っていたので、今この平和的な風景になっているのは、本当に驚きです。
ちなみにキャンプ場は一区画2,000円。
オートキャンプ場は各サイトに水場もついていて5000円。バーベキューだけの利用もできるみたいです。
同じ津波被災地でも、宮城や岩手の沿岸エリアは、震災から14年が経過して新しい街が誕生していますが、このエリアは避難指示区域の解除になったのもそれほど前ではなく、今も大熊町や双葉町、浪江町などでは帰還困難区域が広く残っています。
バスの車窓からは、育成中の防砂林の松林が広がっていました。
このあたりは津波で流されてしまっているエリアです。
午後の最初の訪問先は、中間貯蔵工事情報センター。
中間貯蔵施設とは、福島第一原子力発電所をぐるっと囲むように、国道6号から東側の大熊町と双葉町にまたがる土地を国が買い上げ、除染で集まった土壌や草木、廃棄物などを、最終処分場に運び出すまでの間貯蔵しておく施設のこと。
ニュースでもたびたび見るけど、実際に見学するのは今回が初めて。
まずはここで施設職員から、中間貯蔵施設とはどういった施設で、これまでどのような作業を行ってきて、現状はどうなっているのかという説明を受けた。
除染活動は、このエリアだけで行われていたわけではなく、かなり距離が離れた福島市や伊達市の山間部でも行われていたし、土や草木に加え、津波で破壊された家屋なども対象に。その量は膨大で、各市町村の空き地などに並べられていたフレコンバッグ入りの廃棄物を、ピーク時には一日のべ約3000台のダンプトラックが稼働していたとのこと。
そして、集められた除去物は、フレコンバッグを破って中身をだし、土壌や草木など仕分けして、焼却できるものは専用の炉で焼却し、かなり圧縮して中間貯蔵施設に運び込み、外気に影響を与えないような形で中間貯蔵施設で保管されているとのこと。
詳細は、環境省のサイトでも確認することができるし、いろいろ報告書のPDFもネットで見ることができる。
今は、そうした搬入作業もほぼ終わりかけているとのこと。
その後、バスに乗って中間貯蔵施設の中へ。
以前は、至る所でこの黒いフレコンバッグを目にしたが、今はほとんど見かけることもなくなり久々だ。
説明聞きそびれてしまったけど、この中身はいわゆる除去物ではなく別のものだった気がする。
至る所に線量計が設置されている。
ちょっとの距離でも数値は異なる。
そして中間貯蔵施設のエリア内にもかかわらず線量はかなり低い。
ここは0.563μSv/h(マイクロシーベルト/時)。
バスから降りて、実際に除去土壌などを埋めて保管している場所の上に降り立った。だだっ広くてまっ平らな土地。
でもこの下には、除染によってでた土壌などが埋められている。
一番底の部分と周囲そして上部には、遮水シートや保護マットなどが何層にもわたって敷かれており、地震などの自然災害で崩れてしまわないような構造にもなっている。
その構造を図解したものが、別の場所にあった。
これだ。
各自1台ずつ線量計も渡され、足元から放射線がでていないかの確認をするという体験も。
もし地面の遮蔽が不十分で放射線がでてしまっていれば、地面に近づけることで数値は大幅にあがるはずだが、実際にはそうはならない。
このエリアの線量は、周辺の除染が行われていない雑木林などから来ているものなので、時間がなくてやらなかったが、埋め立てたエリアの中央にいけばいくほど、線量は下がり、奥の草木が茂っているところに近づいていくとあがっていくのだという。
すぐ脇には、深く彫られ、斜面もしっかり覆われた内部構造がよくわかる場所があった。
ここは1層目は既に搬入されて上を遮水シートなどで覆われており、この後さらにもう1層だったかもう2層だったかの搬入が可能だとのこと。
原発事故から10年以上もの長い年月、除染活動や放射性物質の運搬・処理という業務を担ってきた大勢の人たちがいるし、最良の方法をずっと探り続けてきた人たちがいるのだなあと改めて思った。
もちろん原子力発電所での廃炉に向けての作業にも、膨大なマンパワーが投じられている。
去年、NHK「100カメ」の福島第一原発の回で、全国から集まって過酷な作業に取り組んでいるプロフェッショナルな人たちの仕事ぶりを見て本当に驚愕していたが、今回も本当にインパクト大だった。
その福島第一原発が見下ろせる場所にも行った。
「サンライトおおくま」という特養ホームで、高台にあるため津波被害からは免れたものの、福島第一原発の事故によって全員がすぐ避難となり、窓越しに見える建物内部は、地震直後の状態で時間が止まっている。車も何台も駐車場に停まっていたが、タイヤの空気も抜けてしまっていた。
テレビで、あの数日間の本当に危機的な状況をライブで見ていた人にとっては、なんとも感慨深い風景でもある。
廃炉作業は難航し、いつ完了するのかもわからない。
一度事故を起こせば、これだけの膨大な損害を発生させる。完全にコントロールできる完成された技術ではない。
しかも、比較的早い段階で原子力発電に取り組んできた日本の原子力発電所は、現在再稼働しているものも含め老朽化している。
その後またバスに乗って移動し、北上して相馬市に。
松浦湾に面した宿「いさみや」で、「1/10 Fukushimaをきいてみる」の最新作の上映会とトークショーが行われた。
「1/10 Fukushimaをきいてみる 2023」
処理水をめぐる疑問とは
最先端の産業とは
震災の記憶がない世代とは
人どうしがつながる防災とは当事者、非当事者、年齢、性別、職業など
立場の垣根を越えて、一緒に考えるために作られた映画です。
この映画は1本だけではなく、2014年版から2023年版まで、毎年1本ずつが作られ、全国各地で上映会が開催されてきた。
自分もFacebookで知人が投稿しているのを見て名前は知っていたものの、タイミングもあわず上映会に参加したことはなかった。
初めて見たのが、一番最後の完結編になってしまったが、本当にいい映画で考えさせられ、そしてうっかり涙もしてしまった。
残り9本も見たい。
このシリーズに何回も登場しており、2024年版でも冒頭で登場して力強い笑顔で語っていた、ホテルみなとやの若女将も加わってのトークショー。
津波と原発事故からの14年間、どう変わっていったのかや、実際に起きていることを自分自身の目で見て知ることの大切さ、その上で「もやもやすること」の重要さなど。
本当に大切だなと。
夜は、宿の前に作られた大きなプレハブ小屋で「浜焼き」体験。
長い間、漁もできず地元でとれた魚を宿泊客にだすこともできない日々が続いてきた松浦湾。
その旅館の若旦那たちがチームを作り、もう一度盛り上げていこうと様々な企画を打ち出しており、その中のひとつが海水浴場として大人気だったこの地で昔から行われてきた「浜焼き」だった。
●熱い思いを串に刺して!【復活の浜焼き】松川浦の浜焼き体験(相馬観光ガイド)
竹を割って作った特注の竹串に、ひとりひとり、カレイやイカを刺して、炭火で焼く。
どうやって挿せばいいかも、若旦那に詳しく教えてもらう体験型企画だ。
塩もふったカレイが、炭火に照らされて絵になる!
他にもいろいろユニークな企画が。
個人的に絶対体験してみたいと思ったのは、「ムーンロード・スターライト・カフェ」。
●「松川浦ガイドの会」のガイド付き!海を楽しむ体験型宿泊プラン(相馬観光ガイド)
●ムーンロード・スターライト・カフェ(相馬観光ガイド)
太平洋と松川浦の間を通る直線5.2㎞に及ぶ大洲海岸。信号も外灯もない暗闇の海岸、震災後に整備された防波堤に腰かけて、相馬市のブランド認証品に認定された「お菓子といれたてのコーヒー」を頂きながら、満天の星空や月明かりに包まれ、太平洋の波音に心を癒されてみませんか?、当日、月が一番大きく見える場所や星がきれいに見える場所へ旅館の若旦那が皆様をご案内します。
カレイを竹串に刺すのも初めてなら、炭火で焼いたカレイを食べるのも初めて。
そしてほっくほくで甘さも感じるカレイは、過去食べた中で最高に美味しかった。
それ以上の感激は、一番最後に出てきた〆の焼きおにぎり。
これを食べるためだけに松浦湾に行く価値あると思う。
他の参加者も同意してくれたので、自分だけの感想ではないと思う。どう美味しいのかはぜひ実体験してほしい。
そして、この宿に全員泊まることは無理だったので、半分の人はまたバスに乗って「ホテルグラード 新地」に。
2019年にオープンしたばかりの新しいホテルだけど、日帰り温泉もあって快適でした。
2日目のレポートはまた後日。
>続く