陸前高田市で仮設住宅支援活動に参加!~ベランダ雨よけ拡張作業
昨年ずっと中国に行ってしまっていたので、実は一年以上ぶり。
自分もメンバーになっている埼玉・上尾の復興支援ボランティアチーム「ReVA」の活動に参加するため岩手県・陸前高田市に行ってきた。
今回はボランティアバスではなく、車3台での少人数チーム。
活動場所は陸前高田市の高台にある小規模の仮設住宅だ。
実はこれ少し前の話で、日程は8月29日夜~31日。
29日の夜に埼玉を出発して高速を飛ばし、翌朝、陸前高田市に到着した。
海沿いルートで陸前高田に入ると、いきなり目に飛び込んできたのが巨大ベルトコンベア。
話には聞いていたけど、まさかの規模で度肝を抜かれる。
その時の驚愕レポートは先に公開したので、興味ある方は是非見て欲しい。
そしてもし機会があるのなら、この工事が行われている間に一度、生で見ておくといいとも思う。建物の「建築」起点を目にすることはあっても、なかなか「街づくり」のスタート地点を直接見る機会はないと思うので。
復興が進む三陸の「今」をじっくり見て回りたいならこのスタディツアーがオススメ。
●3.11から三年半~復興も進む三陸の津波被災地を訪れ学ぶ「復興支援スタディバスツアー」
今回のミッションは、仮設住宅のベランダ側の雨よけの拡張。
チーム中核メンバーの同級生がリフォーム施工会社の社長さんで、その方が全面協力してくれることになり、必要な資材も運んできてくれた。
さっそく作業開始!
もともと木材と波板で雨よけが作られているのだが、ちょっと小さい。そもそも洗濯物を干すスペースがとても限られているのだが、干したまま買い物に行って雨が降ってしまうと、小雨・通り雨でもすぐびっしょりになってしまう。
そのため左右・手前に数十センチ拡張し、小雨くらいなら下に干してある洗濯物が濡れないで済むようにすることが目的だ。
まずは木材で枠組を。
今回は本職のプロがひとりいるので、起動も早い。
最初だけちょっと、メンバー間でどうするこうする、いやこうしたほうが、それじゃダメだろ的な議論が起こったが、しばしその様子をじっと観察していたその方が、「こんな感じだったらどうですかね」と穏やかに提案し、実際にサンプルもさくっと作って、あとはとってもスムーズ。
やっぱり大勢の職人さんをまとめて動かす立場の人は、コミュニケーション能力が高いんだな~と改めて。このチームの活動参加はいつも学ぶことだらけだ。
さて問題は自分。
他のメンバーは割と大工作業慣れている人が多いんだけど、自分は釘打つことも年数回あるかないかなのでド素人。下手に手をだすと、「やり直し」の手間を周りにかけてしまうので、あまり積極的に仕事くれくれとも言えず。
そんなわけで少し居場所なくしていたら、「波板切り」のお仕事をもらえた。
専用のハサミで、必要なサイズに波板を切っていくだけの簡単な作業だ。
・・・と思ったら大間違い!
専用ハサミなんだけど、実はそんなスイスイ切れない。
結構、握力とコツがいる。
お昼少し前から最後までずっとこの作業をやっていたんだけど、右手の親指と人差指の根本は真っ赤になっちゃうわ、二の腕はなにげに筋肉痛になるわで、そこそこ疲れた。
でもおかげで、かなり上手く切れるようになった気がする♪
▼ReVA活動2014年8月30日~仮設住宅ベランダひさし延長(55秒)
お昼は仮設住宅のお母さんたちが、集会場に用意してくれた。
毎回「お願いだから気を使わないでほしい。食事も自分たちで持っていくので」と繰り返しお願いしているけど、「そんなことはできない」とたっぷり用意してくれてしまうそう。
具材たっぷりのすいとんは、コシがあってスープも美味!!!
そして日本酒・焼酎のツマミにもしたいのがこれ。
油味噌を青じそに挟んでさらに揚げたもの。
青じそでぐるっと細巻きにして作るのはよく見るが、これは2枚の青じそで挟んで揚げた後細長く切っている。
メンバーの女性が作り方を早速教わっていた。
ほんとごちそうさまでした。
仮設住宅でのお手伝いは、地元の方とも交流できて本当に楽しい。
そして予定では一日半かけて行う予定だった作業は、
強力すぎる助っ人というか本職の方の的確な指揮のもとスイスイと進み、なんと一日目でほぼ完成してしまった。
さらに玄関前に波板で作ってあった防寒用の小部屋の屋根の修理も行い、一軒のおたくのベランダも作成し・・・
翌日はまさかの失業!
何もやることがなくなってしまったのだ。
前日に拡張した雨よけはこんな感じ。
元々の雨よけだとひさしの先端が一番外側の竿のちょっと先までしかなかったが、これだけあれば少しの雨なら大丈夫。
お母さんたちも「これなら安心して買い物に行けるよ」と言ってくれた。
こちらは玄関側。
東北の仮設住宅はどこもだいたい、玄関の外に波板やベニヤ板でこうした前室的なものを作っている(名前何かあると思うんだけど)。そうでないと冬場、玄関のドア開けるだけでせっかく温まった部屋全体が一気に冷え込んでしまうからだ。
この屋根を前回作ったんだけど、8月の暴風雨の時に隙間から水が入り込んでしまうようになったということで、再修理を行った。真ん中を高くし両側を下げた大きめの屋根を取り付けて完成。
ちなみに指差ししているのは「隊長」ことReVA代表の吉沢さんだ。
さらにベランダ。
これは助っ人の本職さんが、たったひとりであっという間に作ってしまい皆で「流石すぎる!」と。あるとないとでは、洗濯物を干す時の大変さがぜんぜん違う。
何軒かのお宅は、前に外国人のボランティアチームが来て取り付けてくれたが、こちらにはなかったためリクエストが入ったものだ。
そんなわけで2日目は、そのベランダを建物に固定する作業だけして終了。
お茶っこだけして、仮設住宅のお母さんたちに別れをつげた。
「こんな風に時間ができてしまうこともあまりないから」
と、一本松茶屋と、その近くにある情報館に行くことにした。
一本松茶屋は、「奇跡の一本松」見学者のための広い駐車場の一角にあり、陸前高田市や周辺自治体の特産品などが買える場所だ。海産物や地元で醸造されたお醤油、あとマスカットサイダーに復興モチーフにしたいろいろなグッズがある。
これはヤマニ醤油。
「しょうゆ天使」のラベルは、やなせたかし氏がデザインしている。
ヤマニ醤油は、150年近くも続く老舗にも関わらず「一体どこに行ったら買えるの?」と、聞かれる不思議な醤油屋です。ヤマニ醤油は創業以来、御用聞きのスタイルを愚直に守ってきました。自宅まで届けることで、普段着のお得意様と自然に会える。「ヤマニさん」と笑顔で家族のように迎えていただき、笑顔で見送ってくれる。そんな日常の親しみ感を大切にしたい。そのような思いから量販店には一切卸しておりませんでした。
津波が引いた夕方、避難場所より上の丘から工場跡と自宅を確認すると、無残な光景の中でも、事務所のブロックが残っているのが見えました。醤油のレシピさえ残っていれば、ヤマニの味が出来る。私はそこに希望を見ました。
こんな張り紙も。
「情報を待って避難ではなく、まず避難し避難先で情報を入手しましょう」など、何度でも読んで頭に叩き込みたい。
カフェもある。
いつも車で移動してしまっていて気づいていなかったのだが、元の高田松原の一角、今も被災建物が残る道の駅・高田松原の斜め前には、津波によってなぎ倒された松の木の根の部分がたくさん転がっていた。
陸前高田市の名所でもあった松原が最初に作られたのは江戸時代。
その後防潮林として拡張を続け、国指定の名勝となり、「日本の白砂青松100選」「日本の渚100選」などにも選定されていた。
松の木は約7万本あったというからすごい。
それらは10メートルを越す大津波によって、すべて倒されてしまった。たった一本を除いて。
●大槌町→陸前高田市間で土砂積んだ大型ダンプの濁流に翻弄される!・・・ツーリング途中、「奇跡の一本松」を間近で見てきました
すぐ近くには追悼施設もある。
津波前の町並みの写真も貼られていた。
そして今回初めて入った「陸前高田復興まちづくり情報館」。
この施設は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けた陸前高田市における復興事業やその進捗状況などについて、多くの方々にご紹介するために設置したものです。陸前高田市のいま、そして未来の姿をご覧ください。
中には壁一面に展示物。
震災直後のドキュメンタリー。
「ヤミ屋のオヤジ。」なんていうちょっとキャッチーなタイトルがつけられているが、中身はとても真面目でそしてずしんとくる重さ。ひとつひとつ読んでいくと改めて、強い使命感のもと緊急支援に関わっていたすべての人達へのリスペクト心が高まる。すごい話がいっぱいだ。
でもやはり今もっとも注目したいのは、建設が始まったばかりの新しい街の設計図だ。
海沿いはかなり幅広い土地が公園となる。
防災メモリアル公園だ。
そして12.5mの防潮堤・水門を整備し、市街地も10メートル前後のかさ上げを行い安全を確保する。道路も、市街地から高台へのスムーズな避難を前提に整備される。
その防潮堤がこれ。
防潮堤と海の間の公園には松を植え、高田松原が復元すればそれが防潮堤をすっぽり覆うようになるみたいだ。市街地からも松原と海は見ることができるのだろう。
土地のかさ上げ工事に関するパネル展示も多い。
これについては巨大ベルトコンベアの記事を読んでいただけたらと思う。
山を切り崩してかさ上げ用の土砂を採取している工事現場から市街地・・・だったところを見下ろした写真。5年後には全く違う風景になっているだろう、今の陸前高田市だ。
陸前高田には、この一週間後、東北沿岸ツーリング途中にも立ち寄った。
南三陸町同様、多くの観光客・視察グループを集めている。
普段このあたりは、ボランティア活動場所に向かう途中に車で通り過ぎるだけだったので、「たまにこうしてゆっくり歩いてみるのもいいね」など話しながら。
何もなくなってしまった街だけど、歩道脇の花壇の花はきれいに咲いていた。このフラワーロード、帰宅した後調べてびっくり。
津波で街が流されるずっと前から続いているボランティア活動だったのだ。
2007年・2008年の活動報告写真には、今はない街の風景が写り込んでいる。そして小さな松の木も。
この国道45号線は、南下していった先の気仙沼でも長い花壇が整備され、それぞれ手入れしている自治会・ボランティア団体の名前を書いた看板が掲げられていた。震災後も途切れることなく続いている地元の方による「花のおもてなし」活動なのだという。
大震災前の、気仙沼から陸前高田にかけての国道45号線や、道の駅高田松原の写真などを公開しているサイトも見つけた。大型ロードサイド店舗が立ち並ぶきれいに整備された道だ。
そうそうもうひとつ。
一本松茶屋から道挟んで反対側に、やはり陸前高田で200年以上醤油や味噌を醸造してきた八木澤商店のショップがある。
お土産にも喜ばれる素敵なパッケージのお醤油やドレッシング、味噌がいろいろ。
なんと味見もできちゃう!
お味噌を使ったスイーツもあり、パフェも美味しいので陸前高田に行く機会あればぜひ。
そして、巨大ベルトコンベアが張り巡らされた陸前高田市を後にした。
前回までは牡蠣の養殖支援だったけど、今回も初体験のこと多く、仮設のお母さんたちとの交流や他参加メンバーとの夜の飲み会、車中でのいろいろなお話もいい思い出になり、そしていいストックとなった。
ReVAの活動はメンバーでなくても参加できる。
今更と思うかもしれないが、継続的に関わり続け復興してゆく街の様子を自分で感じ取っていくことには意味があると思う。
次は少し先で12月。
その前に復興支援バスツアーもあるので、よかったらぜひ日程&詳細などチェックしてみてほしい。