ホワイトベース大槌でお世話になったIさんにも挨拶して帰りたかったので出発が9時過ぎに。今考えるとやはり早朝出発すべきだった。
というのも、新しい街づくりのため津波で流されてしまい地盤沈下した地区のかさ上げと、復興道路の建設を急ピッチで進めているこのエリアの幹線道路は、土砂を積んだ大型ダンプでびっしりだったからだ。
まず向かったのは大槌町市街地の山近くにある福幸きらり商店街。
ここはバスでボランティア活動に来ていた頃に毎回立ち寄っていた場所で、2012年にこの裏手にある大槌北小がボランティアなどの宿泊施設となった時には、その清掃活動にも参加し、しばらく泊まったことがある。
●WADA-blog(わだぶろぐ)ココログ版:大槌町「きらりベース」
全体レイアウトが変わったような気がするけど、懐かしい。
ランチしたお店や、夜飲みにいった居酒屋もそのまま。
今回は中には入らなかったけど、きっとお店の店主ご夫婦なんかも元気なんだろうなあと。
ただその裏手にあった大槌北小学校は既に取り壊されていた。
一階から二階にあがる階段の途中まで津波が押し寄せ、一階は天井があちこちで落ち、時計は津波到達時間で止まっていたっけ。
●WADA-blog(わだぶろぐ)ココログ版:大槌町「きらりベース」
↑2012年時点のレポートなので、今の大槌町とはまったく違いますが、よかったら読んでみてください。
その後、よく散策もした大槌町の街なかをしばしバイクで走り回った。
残っていた建物はほとんど解体し、今は地盤かさ上げが進められている。8月末に訪れた陸前高田市と同じように、新しい街づくりが本格的に始まっているんだなと実感した。
住宅の跡地は、今も水がいっぱい溜まっていた。
地盤沈下による海水流入ではなく、湧水によるもの。そういえば湧水見学にも連れて行ってもらったな。
大槌町に新しいボランティア無料宿泊所「きらりベース」が誕生!(5)
この時にきらりベース立ちあげに奮闘していた中村さんは、今も大槌町で復興にかかわる仕事を続けられていて、前日もお会いして一緒に飲みに行った。いろいろお世話になった方だ(特にぎっくり腰になった時)。
2011年に大槌町に行ったことがあるボランティアならきっと一度は立ち寄ったのでは?という国道45号線沿いのローソン。当時、日本一売上の大きな店舗になったんだとか。そりゃここ以外お店全くなかったんだからそうなるよな。
東京からの高速バスもここに停まるため、しょっちゅう来ていた。
ほんと懐かしかった。
それから鉄の街、釜石へ。
釜石観音は後ろ姿だけ拝む。
少し雨もちらついてきたが、モンベルの真っ赤なレインスーツ持参してるので問題なし。クロスカブも赤なのでかなり目立つバイクになったはず。
雨のおかげで、ひとつ答え出し切れていなかった迷いに結論がでた。それは「連続カーブ山道か長いトンネルか」という選択だ。
釜石から陸前高田にかけての沿岸は典型的なリアス式海岸で、にょきにょき突き出た半島には結構高い山がある。海沿いの平坦な道はほとんどなく、国道45号線も長いトンネルが続く。
一番長いのは鍬台トンネルで2.3キロ。
バイクでそんな長いトンネルを走るのは自分にとって恐怖でしかなかった。
トンネル内はなぜかスピードあがってしまうし、センターラインに引き寄せられる感じがする。そして路面あまりよくないトンネルもある。前も後ろも隣の車線も大型ダンプだらけなので、うっかり転んだらぺしゃってなりそう。
じゃあ半島をまわるかというと、こちらも地図見る限りでは峠道。
前日の重茂半島で連続カーブはもうおなかいっぱいだった。
しかし雨なら、初心者ライダーな自分にとって滑りやすい峠路の選択肢は消える。トンネルだ。
長かった!!!
緊張して口の中もカラカラになりました。
トンネルも峠道も、もうしばらく要らない!!!
そして大船渡へ。
ここは陸前高田市にボランティア活動で来た際、二度ほど立ち寄ったことがある場所。
港に大量にいたカモメたちの狙いは、トラック荷台に氷と一緒に積み込まれた新鮮なお魚。トラックが走りだすと一斉に襲い掛かり、見事氷の中から数匹の魚をゲットしていた。恐るべし・・・!
前来た時に食事した屋台村も健在。
養殖筏が整然とならぶ穏やかな湾内を見下ろしながら走り・・・
碁石海岸にあるレストラン「岬」に到着。
実はここ、8月末に陸前高田市でボランティア活動しに来た時にみなで夕食を食べに来たお店だ。
前回は海鮮丼だったので、今回は名物の磯ラーメン。
エビにホタテまで入っている贅沢ラーメンだ。スープも美味しい。
しばし散策して駐車場に戻ってきたところで出会ったのが・・・
会津在住のライダーさん。
北海道や東北をかなり長期間まわり今帰途なのだそう。
荷物もきれいに整理して積んでいた。
こういう大きいバイクにどう荷物積むものかずっと気になっていたので、間近で見ることができラッキー。
ブログも教えてもらった。
ツーリング記録をあとで見させてもらおう♪
これは道ではなく、BRTの軌道。
あとで写真また掲載するが、鉄道路線を道にして専用のバスを走らせるあれだ。
大船渡から南三陸町にかけて、BRTの軌道を頻繁に見る。
もちろん走っているバスの本数もかなり多く、一般道路上を走っている姿もよく見かける。
その後、前に津波で流された写真やハガキを洗浄・復元するボランティアで行ったことがあるオートキャンプ場のモビリアにちょろっと立ち寄り
大規模な地盤かさ上げが進む陸前高田市へ。
8月末にボランティア活動で来たばかりなのだが、グループだと自由には動き回れないので、今回は前から行ってみたかった場所に向かった。
それは高田松原。
ここは前回も来たのだが、実は10回近くもしくはそれ以上通っている陸前高田なのに、まだ「奇跡の一本松」を間近で見たことがなかった。いつもバスや車の車窓から遠目に眺めるだけだった。
その一本松の周辺も、かさ上げ用の土砂を山から市街地に運ぶ大型ベルトコンベアが張り巡らされている。
山から運河を越えて市街地につながる部分は「希望のかけ橋」という名前だ。
残念ながら、津波で生き残ったものの海水により枯死してしまった奇跡の一本松。
現在は人工的な処理によりモニュメントとして保存されている。
初めてボラバスで陸前高田に来た時は、隣にいた年配女性がバス車窓越しにこの松の木に手を合わせていた。その姿を見ながらうっかり涙してしまったのを思い出した。
砂を積み上げて作られた展望台もある。
ここに登ると、ベルトコンベアでかさ上げしている工事の全容を眺めることができる。
数年後にはがらり違う風景が誕生するはずだ。
この風景も、今しか見ることはできない。
奇跡の一本松を後にし、内陸に少し入った場所にある「矢作小学校」へ。
実はここ、廃校となった校舎を使い、ボランティアや復興事業に関わる人の宿泊施設にしている。
ここも非常に面白い場所だったので、後でまた別途紹介したい。
<おまけ>
奇跡の一本松近くにカフェをだしている八木澤商会のパフェ、美味しかった♪