北港から少し南の都道脇に「砲台跡地入口」という標識があった。パンフレットでは「東港探照灯下砲台」と書かれている戦跡で、道からは徒歩5分だという。
何やら密集した木々で暗くなったエリアはひとりで入っていくには少々勇気がいたが、「徒歩5分なら」と覗きにいってみた。
しかし予想を超えるジャングル状態。
しかもこのように階段や手すりがあったのは最初だけ。
その後はルートもやや不明瞭な状態。
日没直前だったこともあり、木が密集した中は一層薄暗く感じる。
この道で本当にあってるのかなあ?と不安を抱えながら、ジャングルを進む羽目に。
何か所か「順路」という看板を見つけ歩いていくと・・・
あった!!!
旧日本軍の高角砲は、苔色に染まって静かに横たわっていた。
木製の看板も既に倒れ、文字の一部は読めなくなっている。
正面にまわってみた。
鉄は、錆びてコケが生えるとまるで木の幹のようになる。
もちろんそんなことはしないが、爪でめくれば剥がれ落ちただろう。
台座部分も錆びまくっているが、崩れ落ちることはなくその体勢をしっかり保っている。
私にはまったくわからないが、それぞれどういうパーツなのか、好きな人が見ればきっとわかるのだろう。
セミの抜け殻もついていた。
今から70年前、ここは本土防衛の最前線となっていた。
硫黄島のような上陸戦にはならなかったものの、上空からの爆撃にさらされ犠牲になった兵士も多い。
こうして戦跡を実際に見る機会は非常に少なく、先の大戦はもうはるか昔の出来事になってしまっているだけに、当時のまま残る戦跡を見ると、なんとも不思議な気持ちにもなる。
ところでここで問題が。
ぐるり一周し、さあ戻ろうと思ったのだが、来る時も道よくわからずいきあたりばったりで出くわした高角砲。おそらくこの道だったろうルートを辿るも、なぜか蜘蛛の巣にひっかかったりして、明らかに行きとは違う道を歩いてしまっていることに気付かされた。
それでもしばらく歩いて行くと・・・
え?なぜ???
さっきの場所に戻ってきちゃった???
ほぼまっすぐ歩いていたはずなのに、なぜ?
軽いショックを受けながらよく見ると、さきほどとは少し違う。
セミの抜け殻もなかった。どうやら別の高角砲らしい。
こちらのほうが保存状態もよさそう。
さらに歩いて行くと・・・
え?また???
あとでパンフレットを見たら、全部で3門とあったので道は間違ってはおらず、ぐるり砲台跡地を一周するルートをちゃんと辿れたのだろう。
本人的には、都道に戻る同じ道を引き返しているつもりが、次から次に新しい高角砲が現れたので、ジャングル内を迷走しているんじゃないかと焦りまくったのだが。
無事、都道に戻ってこれた時にはほっとした。
時間は15分ほどあれば十分。
足場が悪いこともなく、慎重にルートをトレースすれば、ぐるり一周して帰ってこれるはず。木の下などをくぐる場合は、蜘蛛の巣に注意したほうがいい。
うっかり日没過ぎたらおそらく出てこれなくなるので、時間には注意を。あともちろん、携帯電波は入らず、GPSも精度今一つだった。
東京都の観光PR事業の一環として、2016年9月27日から10月2日までの日程で、小笠原父島・母島を訪れています(現地滞在は3泊4日/東京都多摩・島しょ魅力発信事業からの招待)。詳細は公式サイト「tokyoreporter島旅&山旅」にて。