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津波被災地を自転車で走る!「ツール・ド・東北」にボランティアスタッフとして参加!

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連休真ん中の2014年9月14日、石巻から気仙沼にかけての沿岸部一帯を舞台に、「ツール・ド・東北」というイベントが開催されました。参加ライダーは2700人以上、クルーと呼ばれるボランティアスタッフも700人以上という大規模なものです。

東日本大震災の復興支援のために開催される自転車イベントです。年々変わっていく被災地の様子や、東北の豊かな自然、旬の味覚など、東北の「今」を肌で感じながら、震災の記憶を未来につなげていくことを目的としています。

昨年11月3日に第1回大会が開催され、約1,300名が東北の地を駆け抜けました。第2回目となる今年は、参加人数を3,000名に拡大し、気仙沼まで伸びる220kmの新コースを設けるなど、昨年からさらに規模を拡大して開催します。

10年続くイベントに

復興への道はこれからも続いていきます。変わっていく被災地の風景や現地の人々の様子を見て、感じながら、多くの人と共に復興への道を歩むために、イベントを10年続けていく予定です。

●ツール・ド・東北 2014 -「ツール・ド・東北」とは」

私もクルー応募して当選し、13日&14日の二日間参加してきました。

実を言うと今回、八戸から出発し、岩手・宮城・福島の沿岸部を経由し千葉の自宅まで走る東北沿岸ツーリングの計画は、この「ツール・ド・東北」参加が先にありきでした。2011年から2012年にかけてボランティア活動で訪れた町の「今」を自分の目で見てまわる格好の機会だと思ったのです。

●ツール・ド・東北公式サイト

最長コースは石巻をスタートして気仙沼で折り返し戻ってくる220キロ。
そして170キロ・100キロ・60キロのコースが続きます。

行ったことある方はわかると思いますが「沿岸部」といっても決してのどかなコースではありません。くねくねカーブが続くアップダウンも厳しいリアス式海岸地形ならではのハードな道です。

しかも通過するのは女川・雄勝・南三陸町と、それぞれ2011年までは多くの観光客も集める賑やかな漁業の町だったところが、津波で壊滅状態になり、今は建物もなくコンクリ土台のまわりを草が生い茂り、土地のかさ上げ工事も進行し埋立地のような風景も広がる場所です。

それでも「多くの人に津波被災地の今を見て欲しい」という主催者の思いにも呼応し、多くの人が全国から集まりました。ボランティアスタッフも関東から数百人が参加しています

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スタート&ゴール地点は、石巻市の旧北上川のほとりの高台にある石巻専修大学。震災の後はここがボランティア拠点となり、私もここにテントを張って一週間滞在し、炊き出しを雄勝町に運んだり、瓦礫撤去などの活動をしていました。

●復興支援ボランティア体験@石巻(7)テント村の一日

なのでちょっと懐かしい場所。
前日は天気もよく、芝生が青々と輝いていました。

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そして初めて見るものも多く、好奇心びしばし刺激されます。
参加ライダー用の駐輪場には、胸の高さほどのポールが何本も設置されていたのですが、これってスタンドがないバイクのサドルをひっかけて停めておくためだったんですね!

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前日&当日は石巻専修大学の広いグラウンドでイベントも。
参加ライダーだけでなく、近所からも子供連れでたくさんの人が集まっていました。

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ここは牡蠣。

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カキフライの串刺しをいただきました。
揚げたてでカリッとして、中は大粒のジューシーな牡蠣。

もう一本注文したいほど美味しかったです。

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前日の夜、ボランティアスタッフを対象に決起集会が開催されました。

主催は石巻に復興支援の拠点を置きずっと活動を続けているヤフーと河北新報社。
以前開催されていた自転車レースが長らく休止になっていることをヤフーが知り、インフラのベースとなる「道路の復興」にもつながる「ツール・ド・東北」を開催することを決めたのだとか。

ヤフー社長もライダーとして出走。

三年半が経過してもこうして、本気で東北復興に関与し続けようとする企業はやはりリスペクトします。

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その日の宿泊は専修大学の構内。
女性はゼミ室などに用意された布団を敷いて寝ました。男性は体育館一面に220枚の布団が敷かれ壮観だったとか。

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同じ誘導係を担当した女性2人とタクシー相乗りして、道の駅にある「ふたごの湯」という温泉にも行きました。無料シャトルバスで市内温泉をピストン輸送してくれるサービスもあったのですが、ボランティア数があまりに多くゆっくりお湯に浸かるのは難しそうだったので。

ボランティア参加は、普段知り合うことが絶対にない人たちと出会える格好のチャンス。今回は石巻や近隣自治体に住む人のボランティアも多かったので、そんな人達と交流できたのもいい思い出です。

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そして遂に当日。
もともと「遊軍」で、予定ではスタート地点の担当だったので4時に集合したところ、欠員がでたらしく急遽「給水所」ミッションに変更となり、7時半集合になりました。

「なんでもOK」希望を出していたんだけど、やはり実際にコースを走るライダーの姿を見て応援できる給水所やエイドステーションは魅力的だったのでラッキー。再集合時間までスタート風景を、いち観客としてのんびり見ることができました。

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3年経った今も東北沿岸部へのボランティア活動を精力的に続けている亀田さん。昨年に続きスパイダーマンで最長220キロコースに参戦です。参加者が2700人いても一瞬で見つけられました。

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かなりかなりハードなコースなのですが、こんな仮装で参加する強者も。見事完走していました。

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そして米国大使ケネディ氏も参加。
60キロのコースを走りました。

●ケネディ大使60キロ完走...ツール・ド・東北 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

5時半に220キロコースのスタートが始まってから2時間かかってやっと100キロの北上コースまでの出走が終わり、残念ながら60キロの女川・雄勝コースのスタートは見れないまま、7時半に集合。男性1名・女性3名の四人で自分たちの給水所に向かいました。

場所は気仙沼市の南端で南三陸町にも近い本吉町。

●ツール・ド・東北 2014 - コース情報

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ここを通過するのは220キロの気仙沼コースと170キロの南三陸コースで、170キロコース折り返し地点まであと3キロくらいという長い長い上り坂の下り側に設置された給水所。

なので道挟んで反対側は、どこまでも続く上り坂を必死に登るライダーたちで、手前はブレーキもかけず一気に下りおりたいランナーたちという対照的な風景が展開し、実を言うと、給水所に立ち寄ってくれる人はほとんどいませんでした。

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そんなわけで「これはもう、上り坂の応援に徹しよう」という話になり、あとからやってきた男性1人を加えた5人のボランティアでひたすら声援を送り続けました。

苦しい上り坂にもかかわらず、声援に答えてわざわざ「ありがとう!」と笑顔で手をあげてくれる人も多かったです。「応援していたら応援されていた」というキャッチコピーは、東北復興を支援しようと参加したけど、実は自分たちが応援されていた・・・ということなんですが、ボランティアスタッフにとっても同じことがいえます。

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今回一番すごいと思ったのは、ママチャリ参戦のこの方。
ネットでは非常に有名な方らしく、Facebookつながりの知人からも「会ったんだ!いいなあ!」とコメントがいくつも寄せられましたがすみません、私は存じ上げず。

レース用の10万・20万それ以上する特別なバイクで走っている人たちですらきつそうなのに、ママチャリで最長コースの220キロを走り抜けてしまうなんて、只者じゃないです。すごい!

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スパイダーマン亀田さんは、私がいると知ってわざわざ給水所で停まってくれました。ありがとうございます!

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最後の方、もうほとんど選手もまばらにしか通過しなくなったので、大学生の女の子に記念写真撮ってもらいました。前日にもらった小さなうちわを大きくふりかぶりながら、腰も落として必死応援。さすがにちょいと喉かれました。

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一緒に活動したボランティアスタッフ5名。
楽しかったです。

220キロコース最後尾の人が通過した後、給水所撤収作業を行い、南三陸町や北上川下流域、雄勝・女川など実際のコースを車で走りながら専修大学に帰還。

途中、「自分なら自転車からすぐ下りて押すな・・・」と思うアップダウン厳しすぎるコースを必死に前進する参加ライダーたちの姿を見ながら、「バイクでも音をあげてたけど、甘すぎだったな」と反省。おかげでこの日以降のツーリングは「バイクってなんて楽ちんな乗り物なんだ」と思えるようになりました。

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石巻専修大学では、真横から夕陽が差し込む一面芝生の敷地内に次々ゴールをするライダー達のこれ以上ないくらいの喜びの顔を見ることができました。

見ているこっちまで笑顔になりそうなほど、達成感に満ちた顔。

「いつか自分も参加したい!」と話すボランティアスタッフも結構いましたが、参加ライダーにとってもボランティアスタッフにとっても、忘れられない一日になったと思います。

え?自分ですか。

あんな山道を自転車で60キロ以上なんて絶対ムリ!!!

でもまたボランティア参加はしてみたいです。

●ツール・ド・東北 2014

追記:参加したプロトライアスリートの白戸太朗氏がレポートを書いています。

昨年に引き続き開催された「ツール・ド・東北」は東日本大震災の被災地沿岸で開催されるサイクリングイベント。当初は「復興もできていない街をサイクリング?」「イベントをやる前にやることがあるのでは」と非難されたが、Yahooと河北新報が勇気を持ってスタートさせたイベントだ。縁あって記念すべき1回目となった昨年も走らせてもらったが、あまりに美しい海と惨酷な爪痕とのギャップ、そして人の優しさに胸が詰まって、走りながら涙が溢れてきたのを覚えている。大会中に他の参加者と話をしたが、皆同じような感想で「復興を応援しに来たのに、逆に励まされた」というコメントが多かった。サイクリストの間では大変話題になった大会だった。

●SPORTS COMMUNICATIONS - 第155回「応援していたら応援されていた ~ツール・ド・東北~」

ボランティアへGO!

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