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ツーリング4日目で"自分が走ってる"感覚に~気仙沼&南三陸町

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前日の「大型ダンプだらけ国道45号」に疲れてしまったので、内陸側を走る「気仙沼陸前高田線」という峠越えもある道を進むことにした。これが大正解。

ダンプどころか車一台人っ子ひとりおらず

で、濁流の中スピード出さざるを得なかった前日とうって変わり、一番気持ちのいいペースで山道を走り続けることができた。そして2日目・3日目と怖がっていた急な下り坂の連続カーブもちょっと楽しくなってきた。

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それまでずっと「走ってるバイクに乗ってる自分」だったのが「走ってる自分」感覚になってきた。カーブも自分でリズムとって安定して曲がれるようになってきた。ちゃんと曲がりきれるかどうか不安で過度に速度落とすこともなく意図した通りの弧を描けるようになってきた。

・・・といってもまだまだ初心者なので、ベテランの人からみたら無駄ありまくりの走りだと思うけどね。

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と、坂道下りきったところに突如でてきた踏切。
あわてて減速して停まるも、よく見たら「休止中」と書いてある。そりゃそうだ。この区間はまだ復旧してなくてBRTのはずだもん。

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でも線路は早くも、廃線になった鉄道のような状況。
いつかここを再び列車が走る日がくるんだろうか。

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楽しい走りは時間も短く感じられるもので、あっという間に気仙沼に到着してしまった。ここは気仙沼大島に向かうフェリー乗り場。初めて来たのはまだ電気通っていないエリアも残り夜は真っ暗、めちゃめちゃに破壊された歴史ある建築物も残っていた2011年のこと。

●気仙沼漁港周辺を散策!温泉も入った!

その後、2012年5月に気仙沼大島で開催されたマラソン大会に参加するため再びきて、ここからフェリーに乗った。

●気仙沼大島ランフェスタに参加!(1)

いろいろな思い出が蘇ってくる。

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男山の3階部分は白い覆いがかけられていた。
そもそもあの位置にあった建物ではなかったはずだけど、この後やはり解体される運命なのだろうか。

↓ちなみに2011年はこんな感じでした。

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行くたび興奮する、これぞ「日本の港!」な気仙沼漁港。
長期間漁にでる大型漁船も停泊している。

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そしてシャークミュージアムも生まれ変わっていた。

↓初めて来た時はこんな状態。

もちろん営業も休止中だった。

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隣接する気仙沼市場も活気づいていた。

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一般の人入れないので遠くから見るしかないんだけど、写真右側に何やらごろんごろんした魚が大量に転がっている。

もしやマグロ!?

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大船渡港同様、ここにも貪欲すぎるかもめがびっしり。
全員で人間がとってくる魚のおこぼれに与ろうと、虎視眈々と狙っている(ように私には見える)。

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気仙沼を出た後は、今度は国道45号線を通って南三陸町へ。
本当は一気に石巻まで行く予定だったが、石巻・女川がかなりの雨という報道があり、また用意しておいた予備日も使わず順調にここまできたので、南三陸町で一泊することにしたのだ。

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街全体が津波に流され跡形もなくなり、緑の草と黄土色の土の二色になっている中、テレビでも何度も流れた震災遺構のひとつ、南三陸町の防災対策庁舎の赤い骨組みが浮かび上がっていた。

津波の教訓として残すか、それとも取り壊すか。
議論はまだ決着をしていないらしい。

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ここに住んでいた人たち以外にとっては、見るだけで自然の力の怖さを実感できる震災遺構は将来のため残して欲しいと思うかもしれない。私がここを訪れている間にも、何台もの大型バスがこの建物の前に停まり、沢山の人が手を合わせそして写真を撮っていった。

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私も翌日(つまり今日)参加したが、南三陸ホテル観洋の「語り部ツアーバス」も見かけた。備蓄を始めとする災害への備えの必要性や、いざというときにどう判断し行動するかを学ぶことができる貴重な機会だ。

ただ身内や友人をなくした人にとって、その建物の無残な姿を目にするだけで苦しい記憶が蘇ってくるのもすごくよくわかる。震災遺構の取扱は、本当に難しい課題だ。

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防災対策庁舎のすぐ横にも、そこに建物が存在していた跡が残っている。
この辺り一帯は街の中心部で、商店や企業施設がたくさん立ち並んでいたところだ。今となっては延々と続く、草ぼうぼうの空き地のようになってしまっているが。

奥は地盤かさ上げ工事が進められているところ。
相当な高さかさ上げを行うようだ。

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企業や労組などでバスを借りきってきている団体もあった。

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3年半経ち、自分含め域外の人の記憶は次第に薄れている。テレビの映像や新聞写真を通してだけでなく、機会があるのなら実際に自分の目で見ることはとても大事だと思う。

今年に入って建て壊しとなった震災遺構も多く、かさ上げ工事も進んでいるので、今しか目にすることのできない貴重な風景だ。自身の防災意識も間違いなく変わるだろう。

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この建物は結婚式場などとして使われていた。
ホテルの語り部ツアーに参加して聞いた話によると、当日は高齢者の演芸大会が開催されており、家族など含め数百人がここに集まっていたという。

その大会も終わりお開きになった頃、津波が襲ってきた。
高齢者では逃げ切れないだろうと、従業員のひとりが入り口に立ちはだかって建物の屋上に逃げるよう誘導をしたが、最後に屋上に登ってみると、既に津波は最上階に達しており、そのしぶきが屋上になだれ込んでいたという。

南三陸町を襲った津波は15メートルもあった。

なんてことをしてしまったんだと、その従業員は避難誘導の判断を悔いたが、幸い、津波は屋上までを飲み込んでしまうことなく、そこにいた300人以上と犬2匹は全員助かったという。

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ボランティア仲間の間でも「あそこはすごい」と話題の「南三陸さんさん商店街」にもやっと行くことができた。

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すぐ隣の建物には、現在計画されている新たな街の模型も置かれている。陸前高田同様、海沿いの広い土地は公園となる。

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南三陸町はもともと人が住むことのできる平らな高台が極めて限られた町だそうで、仮設住宅も小さなものが点在してしまっている状態だが、そんな中で山を切り崩し造成し、公営住宅の建築が進められている。

その進捗状況などもパネル展示されていた。

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南三陸町のシンボルにもなっているモアイ。
イースター島から贈られた本物だ。

●モアイスポット | 南三陸町観光協会公式ホームページ

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南三陸ポータルセンターでは、震災の時やその後の写真・記事などがパネル展示されている。商業施設や住宅がびっしり立ち並ぶ在りし日の写真も。

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そして多数の店が立ち並ぶ南三陸さんさん商店街。
県外から南三陸町にスタディツアー・視察で訪れる大型バスも必ずここに立ち寄る。

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人気はなんといっても南三陸キラキラ丼。
今は秋メニューで「南三陸キラキラ秋旨丼」を各店が提供している。うにもたっぷり!

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そうそう、ここではもうひとつ面白いものを見ることができる。
JR志津川駅だ。

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といっても、気仙沼線は運休したまま。
なので停まるのは列車ではなく、BRTのバスだ。

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真っ赤なバス車体には気仙沼のホヤぼーやが描かれている。

BRTのバスは、基本はもともと線路が走っていた専用の軌道を走っているが、こんな風に町中の道も走り停まってくれる。本数も多いので、BRTを使った三陸旅行なんてのも面白いと思う。南三陸町から気仙沼・陸前高田を通って大船渡まで行くことができるので。

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私が泊まったのは、南三陸ホテル観洋。
震災後は多くの避難者を受け入れ、数多くのエピソードも残したホテルだ。

●南三陸町・ホテル女将「町民を救った180日間」 | 日刊SPA!

今は南三陸町への観光客誘致に大きく貢献している。

自分は当日の昼、素泊まり7000円のプランを電話で予約したのだが、案内されて部屋に入ってびっくり。

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部屋立派過ぎ!!!

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まさかこんなに広い部屋とは思っていなかった。

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大きな窓の向こうは大海原で、建物のすぐ下は海で波が打ち付けている。
3月11日には2階も津波で大破したという。

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部屋もすごいが、大浴場&展望風呂はさらにすごい。
写真は、ちょうど誰もいなかったので撮影した屋内の大浴場。外は端から端まで海!!!。

さらにこの脇から外にでて階段を降りていくと、何も遮るものなく海を眺められる巨大な露天風呂がふたつある。こんな温泉入ったことなかった。開放感とはまさにこういうことを言うのだろう。

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「震災を風化させないための」語り部バスも毎日実施されている。
大人1人500円で参加できる。

実際に体験した人から直接話を聞きながら見ることで理解度は大きく変わる。

●南三陸ホテル観洋公式サイト

天候の関係もあり急遽当日予約した南三陸ホテル観洋だったが、部屋といい温泉といいそして語り部バスといい、すべてが大満足だった。宿泊予約すると仙台からの無料送迎バスにも乗れるという。

週末など使って、ここを主目的に旅行を計画してみるのもありだと思う。

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